清高の ニュースの感想 令和版

題名川柳・内容超一流!

トリエンナーレ でもズレちゃった 三浦瑠麗

 から始まる、三浦瑠麗さんの一連のツイートを検討する。

 

一連のツイートは、

 

 という風に続くが(一番最初のツイートからアクセスされたし)、もちろん怒る人もいるだろうし(どんな展示物にも付きまとう話)、「表現の不自由展・その後」が抗議に対する対応が不十分なのは筆者も認めざるを得ない。しかし、「大衆的な民主主義の時代においては、一番の権力者は民衆です。彼らに全く受け入れられない「アート展」には持続可能性がありません」と言ってしまうと、「民衆」が反対したらすべての展覧会が潰せてしまうのだ。そして少数者の人権が守られなくなるという深刻な事態が生じる。

 

続けて読むと

 とあるが、あいちトリエンナーレ2019「表現の不自由展・その後」で起こった事件と関係ない。「女性や人種など」の話ではないからである(少女像が「女性差別」だとかいう話ではないから)。

 

ここからしばらくは連投した順に取り上げてみる。

 

 

 

 

 

三浦瑠麗さん得意の論点ずらし!(笑)

 

あいちトリエンナーレ2019「表現の不自由展・その後」の、2019年10月2日現在の説明文でも引用するか。https://aichitriennale.jp/artwork/A23.html より。

 ここに展示されているのは主に、日本で過去に何かしらの理由で展示ができなくなってしまった作品です。その理由は様々ですが、「表現の自由」という言葉をめぐり、単純ではない力学があったことが示されています。
表現の自由とは、民主主義や基本的人権の核心となる概念の一つです。本来は、権力への批判を、いつでも、どこでも、どのような方法でも、自由に行える権利を指します。しかし現代において、その対象は為政者や権力者とは限りません。そのため、表現の自由は無制限に認められるわけではなく、他者の人権を損なう場合は調整が行われます。
私たちは、この展覧会内展覧会で、それぞれの作品が表現する背景にあるものを知ると同時に、これらの作品を「誰が」「どのような基準で」「どのように規制したのか」についても知ることができます。

(略)

「表現の不自由展」は、日本における「言論と表現の自由」が脅かされているのではないかという強い危機意識から、組織的検閲や忖度によって表現の機会を奪われてしまった作品を集め、2015年に開催された展覧会。「慰安婦」問題、天皇と戦争、植民地支配、憲法9条、政権批判など、近年公共の文化施設で「タブー」とされがちなテーマの作品が、当時いかにして「排除」されたのか、実際に展示不許可になった理由とともに展示した。今回は、「表現の不自由展」で扱った作品の「その後」に加え、2015年以降、新たに公立美術館などで展示不許可になった作品を、同様に不許可になった理由とともに展示する。

 つまり、三浦さんは、展覧会の趣旨も知らずに暴走したということ。展示ができなくなった作品と背景を見てもらう事が「表現の不自由展・その後」の趣旨なのであって、「現代的な価値観」だとか「グローバルな視点」だとかの話ではない(それらが軽い問題だということではないが、「表現の不自由展・その後」で起こった問題の本質ではない)。また、「女性への性暴力や性的搾取を扱う」(三浦瑠麗。2019年9月26日午前10時47分。https://twitter.com/lullymiura/status/1177036853775499264 )という話でもない。

 

先ほどアップした

 

kiyotaka-since1974.hatenablog.com

 で批判した読売新聞の記事もそうなのだが、肝心なのは展覧会の趣旨のはずで、それを無視して論点ずらしをしても自己満足にすぎないだろう。