清高の ニュースの感想 令和版

題名川柳・内容超一流!

市民の理解 全然関係 ないんだよ

Twitterサーフィンをしていたら、能川元一さん(肩書は「大学非常勤講師(哲学)なのだそう)の、以下のツイートを見た。

 そう、あいちトリエンナーレ2019内の「表現の不自由展・その後」の中止の問題は、「アートがわかる・わからないとはまったく関係ない案件」(能川さんのツイートより)なのは書くまでもないのだが(犯罪と抗議に対する対応の不備という話だから。私見)、そのように論点をずらいしたい記事を見つけたのでそれを以下で紹介する。

 

それは、読売新聞2019年9月26日統合版12版19面「『あいちトリエンナーレ2019」混乱の教訓 公共展示 市民の理解不可欠」(以下、「*1」と表記)である。

 

*1によると、「憲法で保障される表現の自由を侵害する暴力や介入行為は許されない」とある。賢人ならそこで終わる話だが、読売新聞文化部の岩城択、森田睦ご両人は続けて「ただ、公的資金を使った公共展示であれば幅広い層の理解を得る必要性も増す」と書いてしまった。そして福田充・日本大学教授(危機管理学)の「『事前に市民に展示内容の理解を求める対応もなかった』」というコメントを載せているが、それはインターネットだったリ(あいちトリエンナーレ2019「表現の不自由展・その後」の公式サイトに説明があるが、あくまで2019年10月2日現在の内容を参考にしている。https://aichitriennale.jp/artwork/A23.html (以下、「*2」と表記)から)、パンフレットだったリくらいが限界で、不特定多数の市民に理解を求めるのは無理だろう(*1では、福島市で「現代美術の少年像が公共施設前に置かれた」ことにも言及しているが、それも同じ)。

 

*1を続けて読むと、「実際、観覧した人に、『表現の不自由』の趣旨に理解が広がったとは言い難い。関東の公立美術館幹部は、『違和感が強かった。少女像を出したことで政治的視点でしか語れなくなってしまった』と話す。多様な作品を提示して説得力を高める方法も必要だった」とあるが、これもおかしい。*1に少女像の写真が載っているが、これだけ見て「『政治的視点でしか語れなくなってしまった』」(*1)としたら、その人の見方に問題があるとしか言いようがない。たかが少女と椅子の造形物ですよ。「説得力を高める努力」(*1)も何も、そもそもの「表現の不自由展・その後」の趣旨を*2から引用してみるか。

 

ここに展示されているのは主に、日本で過去に何かしらの理由で展示ができなくなってしまった作品です。その理由は様々ですが、「表現の自由」という言葉をめぐり、単純ではない力学があったことが示されています。
表現の自由とは、民主主義や基本的人権の核心となる概念の一つです。本来は、権力への批判を、いつでも、どこでも、どのような方法でも、自由に行える権利を指します。しかし現代において、その対象は為政者や権力者とは限りません。そのため、表現の自由は無制限に認められるわけではなく、他者の人権を損なう場合は調整が行われます。
私たちは、この展覧会内展覧会で、それぞれの作品が表現する背景にあるものを知ると同時に、これらの作品を「誰が」「どのような基準で」「どのように規制したのか」についても知ることができます

(略)

「表現の不自由展」は、日本における「言論と表現の自由」が脅かされているのではないかという強い危機意識から、組織的検閲や忖度によって表現の機会を奪われてしまった作品を集め、2015年に開催された展覧会。「慰安婦」問題、天皇と戦争、植民地支配、憲法9条、政権批判など、近年公共の文化施設で「タブー」とされがちなテーマの作品が、当時いかにして「排除」されたのか、実際に展示不許可になった理由とともに展示した。今回は、「表現の不自由展」で扱った作品の「その後」に加え、2015年以降、新たに公立美術館などで展示不許可になった作品を、同様に不許可になった理由とともに展示する

 

少女像が上記の趣旨に合致していればいいだけの話で、「多様な作品を提示して説得力を高める」(*1)という話ではない(『世界』2019年10月号(岩波書店)に展示物の写真が載っているが、「多様な作品」の展示はあった)。もちろん「企画の練られ具合など」(*1)ということでもない。

 

さらに*1を読み進めると、「美術関係者の中には『その後』展などの作品の質を疑問視する意見もあるが、無用な反発を恐れ、公的には発言を控えている人も多い。広範な議論にはなっていない。それこそ『表現の自由』の退行だ」(*1)と書いてあるが、「表現の不自由展・その後」の趣旨(*2のこと)や脅迫などの犯罪などからすれば二義的なことだから(二義的になってしまったから)発言をしない(しても重要視されない)だけの話である。

 

上述の能川さんのような見解を認めたくないから言葉をこねくり回した結果、現実に起こったことを無視して問題のない展覧会を中傷しようとするのは許しがたい所業である。