エントリー時点では少々古くなったが、読売新聞2020年12月7日統合版12版11面(文化面)「『黄禍論』刊行■廣部泉氏に聞く」(以下、①と表記)が興味深かった。
見出しの一つを引用する。
「日本人は今も差別される側と理解する必要」 (①)
これはそのとおり。最近はピアニストが襲われ、サッカー選手が侮蔑の言葉を投げかけられた。以下を挙げる。
②Pars Today「日本人ジャズピアニスト、中国人と間違えられてニューヨークで暴行を受ける」(2020年10月8日21時21分)
③サッカーダイジェストWeb「ネイマールが酒井宏樹に「クソ中国人」と発言したと報道。同性愛侮辱疑惑も浮上し、 仏版クラシコは泥沼の様相へ【現地発】」(2020年9月23日。結城麻里)
そう、中国人と間違えられてか、あえて中国人として(日本人ではないとして)言われたかはわからないが、差別による被害である。
筆者の印象では、日本においては、それこそ中国人やコリアン(本エントリーと関係ないが、同じ東アジアであること、筆者の見立てでチャイニーズに対してより酷い差別発言が散見されること、以上2点を理由に取り上げた)に対する差別発言を見ることがあるが(『最新差別語 不快語』(小林健治・著、辛淑玉・企画、にんげん出版、2016)に詳しい)、そういうことをやると、ジャパニーズは自らの首を絞めることになる。
従って、読者としては、民族差別に敏感になって、それを批判する側になったほうがいい。その方が巡り巡って生きやすくなるだろう。