最近、쿨파스(ク(ル。パッチム)パス)さんのツイートをよく見る。その쿨파스さんのツイートを検討してみる。
日本の若者がどんなに韓流好きで、韓国行きたいとか、韓国人に生まれたかったとか言っても、歴史問題はどうでもいいと言ってる時点でゴミクソだから。
— 🇰🇷쿨파스🇨🇦 (@raymondpark0601) 2021年6月30日
これはなかなか難しい。
まず韓流が好きであれば、字幕ではなしに韓国語を理解したくなるものだと、筆者の体験では思うのである。当ブログの読者であれば筆者がK-POPを聴くことくらいわかっているだろうが(当ブログの検索窓に「K-POP」と打ち込んだ結果は、
https://kiyotaka-since1974.hatenablog.com/search?q=K-POP から)、韓国のグループのJapanese versionにとどまらずに、韓国語の楽曲を聴いて理解したくなるのは自然だと思う(なお、『ネコの手も貸したい 及川眠子流作詞術』(及川眠子、リットーミュージック、2018)に書いてある話だが、日本以外の高橋洋子ファンも髙橋さんの日本語の歌を聴きたいものらしい)。
そして、韓国語を学ぶには、韓国についての知識があった方がいい*1。というわけで、韓流好きであれば、韓国の歴史を学べるはずである。
というわけで、「歴史問題はどうでもいいと言ってる時点でゴミクソ」は言い過ぎも、好きであれば最終的には歴史くらいかじるであろうとしておく。