清高の ニュースの感想 令和版

題名川柳・内容超一流!

反よりも 知るよりも親 大事かな

昨日(2019年10月4日)の読売新聞統合版13版4面に『「歴史認識」とは何か』(大沼保昭・著、江川紹子・聞き手、中公新書)の広告があった。そこには、小倉紀蔵京都大学教授のコメントが載っていた。以下においてそれを引用する。

「反」「親」よりもまず、「知」が重要なのだ 

 

また、筆者はAmazonでレビューをアップしているが、その筆者のAmazonレビュー『知りたくなる韓国』(https://www.amazon.co.jp/review/RF38G8ZNFX6Y3/ref=cm_cr_srp_d_rdp_perm?ie=UTF8&ASIN=4641174490)において、筆者は「 韓流ドラマやK-POPが日本でも人気だが、とりわけ後者に接したからといって韓国を知ったと思ってはいけない」と書いた。引用という形式を取らなかったが、はしがきの内容を筆者なりに要約したところである。

 

ともあれ、小倉紀蔵さんのコメントであれ、『知りたくなる韓国』のはしがきであれ、知ることが大事だというトーンで書かれている。

 

しかし、それは不自然であろう。

 

例えば、アメリカは移民の国で、黒人に対する差別が厳しく、白人が黒人を殺すより黒人が白人を殺す方が死刑になりやすいということを知るより、野球やバスケットボールに親しむ方が先の人の方が多いのではないか?野球やバスケットボールを観ることを通じて、なぜバスケットボールは野球に比べて黒人が活躍しているのだろう?という疑問から、野球が黒人を排除していた歴史や、バスケットボールの方が親しみやすい(筆者の主観かもしれないが。ストリートバスケットボールについて調べよう)ということを知ることができる。

 

つまり、知るよりも先に親しむことを否定すべきではないということである。

 

その理屈を同様に当てはめれば、どこかの国に対する反発からその国を知る場合もあるかもしれないが、そういうことはたぶんなく、反発するよりは知ることが大事だと筆者は思っている。

 

筆者の場合、ロシアは社会主義だから日本と体制が違うという意味で反発があった。しかし、それよりも、ロシア文学の1冊でも読んで親しむところから始めれば、ロシアについて冷静に知ることができたのではないか?と思っている。

 

というわけで、筆者は、親しむよりも知ることであるといった、前述2冊のキャッチコピーに反対である。韓流コンテンツでもアメリカのスポーツでもロシア文学でも、まずはそちらから親しんだほうがより深く知ろうとするのではないだろうか?