清高の ニュースの感想 令和版

題名川柳・内容超一流!

読売にも トンデモ投稿 あるみたい

0.以前筆者は、『朝日新聞のトンデモ読者投稿』(朝南 政昭、晋遊舎、2007)を読み、アマゾンサイト上でレビューをしたが(

https://www.amazon.co.jp/review/R1CSZEO2HJ35SO/ref=cm_cr_srp_d_rdp_perm?ie=UTF8&ASIN=4883806162 )、著者のアンフェアさに辟易したものだ。だいぶ時間は経ったが、朝南さんの本の補足として(?)読売新聞2021年6月21日統合版12版9面「気流」(投書欄)から、筆者が(朝南さんではなく)トンデモと思った(だから、朝南さんの本のような基準はなく、直感的に)投稿を取り上げる。

 

1.「五輪中継中止 胸痛む」(投稿者名略。以下略)

 東京五輪期間中に代々木公園で予定されていた、競技中継などを行う「ライブサイト」が中止になるという。新型コロナ感染拡大のためには、やむを得ないと思う。 

 

 一方で、大会の感動を共有する場を作ろうと尽力してきた関係者のことを考えると胸が痛む。SNSなどではライブサイトを一方的に非難する声も多かった。関係者たちは今、どんな気持ちだろう。私たちは五輪開催に力を注いできた人たちの努力を、もっと知るべきではないだろうか。

 

全文載せてしまったが、検討に必要なので、著作権法32条第1項の「引用」に該当するとして以下検討する。

 

 この文章だと「一方で」以下が言いたいことになり、肝心なのは 「私たちは五輪開催に力を注いできた人たちの努力を、もっと知るべきではないだろうか」ということになるが、新型コロナウイルスの感染拡大を恐れる人からすれば(知るか!)と思うだけだろう。

 

 筆者は上記当初のオリジナルの文章を見ていないが(投書欄においては、新聞社が改編することがあり、それを投稿者が承諾したうえで掲載される)、意外とオリジナルと文章が逆だったのではないか、と思ってしまった。「五輪開催に力を注いできた人たちの努力」よりも自分の命の方が大事なのは普通のことで、そうであるならば「新型コロナ感染拡大のためには、やむを得ない」というのは妥当だと思うからである。

 

2.「開催是非 建設的に議論」

 東京五輪パラリンピックの開催の是非が、様々な場で議論されている。賛否両論はあってよい。大切なことは、お互いの意見を尊重し、建設的に議論することだ。政争の具にしたり、いたずらに不安を煽るだけのものであったりしてはならないと思う。

 

 (中略)開催までには困難なことがいろいろあるだろう。それを乗り越え、五輪が成功することを祈る。 

 

 これもオリジナルの文章を見ていないから何とも言えないが、「気流」掲載の文章の限りでは、投稿者は「賛否両論はあってよい」と思っておらず、「お互いの意見を尊重し、建設的に議論すること」はどうでもいいと思っているようである。

 

 それにしても、「大切なことは、お互いの意見を尊重し、建設的に議論することだ」だとか「政争の具にしたり、いたずらに不安を煽るだけのものであったりしてはならない」だとかいうのにもう辟易している。「建設的」という言葉が出てきた場合は「自分の主張に従え」(強調のカギカッコ)と解釈すればよい。反対者が賛成者の出した議題を肯定しなければならない義務はないから「政争の具」にするのも当然ありだろう。

 

3.「ミスコン 人間力評価」

 (前略)私もミスコンは性差別的だと思いません。なぜなら、ミスコンは容姿だけでなく、受け答えや立ち居振る舞いなどの人間力も評価されると考えられるからです。(中略)

 

 知性や優しさ、特技といった内面的な要素を含んだ評価の場として、ミスコンを考えるべきです。

 

 筆者はミスコンと、例えばミスターコンの開催数を調べていないが、ミスコンが問題とされる理由の一つはおそらくミスターコンより開催数がそもそも多いからと睨んでいる。それはさておき、そもそも容姿を審査するわけだから(最近は水着審査がなくなったミスコンもあると聞いている)ジェンダーとしての女性らしさが全く評価されないということはないだろう(例えば、ふくよかな人を高く評価する、など)。仮に容姿を全く評価の対象にしない場合でも「受け答えや立ち居振る舞い」がジェンダーと関係ないと断言するのも難しいだろう。「内面的な要素」を評価したいのであれば(そもそも評価しなくていい、という見解も成り立ちそう)別にミスコンでなくてもいい場合が多い。

 

4.新聞の投書欄は、おそらくどの新聞にも、トンデモと思われるものがあるはずなので、読者の皆様も、新聞を読んで、トンデモ投稿をさがしてみたらどうだろうか?結構面白いですよ。