まずは、インターネットの世界でおなじみの(?)、青識亜論(せいしき・あろん)さんの、2022年3月5日19時のツイート*1をご覧いただこう(ただし、連投の一部分)。
太田氏にせよ、高橋氏や藤本氏にせよ、フェミニズムについて語り、「有害な男らしさ」概念を引いて社会事象を説明しようとする女性たちの言葉にずっと違和感があったのは、「有害な女らしさ」というものは存在しないのか、ということ。
— 青識亜論(せいしき・あろん) (@BlauerSeelowe) 2022年3月5日
これはなかなか面白い。たしかに「『有害な女らしさ』」というのは考えなかったなぁ。
しかし、それはなぜかというと、男性優位社会であるという前提が共有されているからだと筆者は思う*2。
男性優位社会であるからこそ、男性性が問題とされるのであり、男性の生きづらさが男性学という学問を作らせたというイメージで筆者は見ている。
もちろん「『有害な女性らしさ』」はあるのだろう。しかし男性優位社会とすれば、「『有害な女性らしさ』」に注目が集まらないのは仕方のないことである。
(追記:2022年3月8日)
そう言えば、「『有害な女性らしさ』」、あったあった。抽象的になるが、男性優位を助長するものである。女性はサポートが上手、といった類。青識亜論さんがツイートしたであろう「『有害な女性らしさ』」とは違うかもしれないが、男性優位・女性劣位を助長したり固定したりする女性らしさというのを、フェミニズムは問題にしたはずである。