清高の ニュースの感想 令和版

題名川柳・内容超一流!

ジャズとシナ 実は似ている 言葉かな

 ジャズとシナ、もちろん意味は全然違うが、実は似ている言葉であるという話。

 

 Rolling Stone Japanのサイトに「『ジャズ』という言葉を葬ろう シオ・クローカーが語るレッテルと黒人差別の歴史」(Mitsutaka Nagira.2022年7月20日18時20分)という記事があるので、以下、本文に関係あるところを引用する。

rollingstonejapan.com

 

 ジャズという言葉は差別用語に等しい。そう聞くと驚く人もいるかもしれないが、これはジャズの歴史においてずっと語られてきたことだ

(中略)

そんな背景があるので、アフリカン・アメリカンのジャズ・ミュージシャンで「ジャズ」という言葉を拒絶してきた人は少なくない。かのマイルス・デイヴィスが自身の音楽を「ジャズではなくソーシャル・ミュージックと呼べ」と語っていたのはよく知られるし、ジョン・バティステが同じくソーシャル・ミュージックという言葉を用いているのも、こういった文脈と無関係ではない。(中略)(以上、1ページ目)

 

 「Jazz Is Dead」を掲げた真意

―ここからが今日の本題で、このアルバムの核となっている「Jazz Is Dead」について深く聞きたいです。この“ジャズは死んだ”、もしくは“ジャズを殺す”というのはどういうことか、あなたの言葉で聞かせてください。

シオ:(ジャズと呼ばれてきた)この音楽をすごく愛してきたし、僕は25年間にわたって演奏し、祖父であるドク・チータムは85年間もそれに仕えてきた。それでもジャズという言葉は、弊害しかもたらさなかったと思っている。音楽に対してもそうだし、この言葉が用いられることで、限られたごく少数の「死の床に伏してる」アーティスト以外はずっと苦しめられてきた。アメリカに限って言えば、演奏できる会場の種類も、会場に観に来てくれる、音楽を聴いてくれるオーディエンスも限定されてしまう。ジャズという言葉がくっつくと、大抵の人々がそこでもう聴くのをやめる。ということはつまり、マスター(原盤)の権利を持ってなかった故人のカタログが競争相手になるんだ。マイルスもコルトレーンもジャズという言葉を嫌っていたにも関わらず、そのカテゴリーに置かれ、ジャズにされてしまっている。死人に口なしだからだ。

 (中略)

シオ:でも、(ジャズと呼ばれている)音楽自体はまったく別だよ。音楽は今も生きているし、成長してる。僕は演奏し続けながら、音楽と伝統を発展させるため、これまで与えられた以上のところを目指したいと思っている。でもそうやって限界を押し広げ、音楽の一部であり続けるのであれば、その音楽が言葉によって限定されてしまうのを見たくないんだ。

ただ例えば、もう何年も行ってないけど……日本やヨーロッパでは、ジャズという言葉に込められた意味合いが違う。アーティストや音楽に対して、アメリカとは違うリスペクトがそこにはあり、受け入れられている。その他のポピュラー音楽と同じレベルで評価され、勢力を誇っているように映る。つまり、軽んじられているのはアメリカだけってこと。(以下略)(以上2ページ目。3ページ目は引用箇所なし)

 

 この引用の是非の判断は読者にまかせるとして、アメリカにおいて「ジャズ」というのは差別語・侮蔑語の類である一方で、日本やヨーロッパではそうではないということがわかる引用にしたつもりである。実際の記事は引用よりもっと深いことが語られているので、ぜひオリジナルを読んでほしい。

 

 このジャズの話を読んで真っ先に思ったのは、「シナ」という言葉である。以下、『最新差別語不快語』(小林健司・著、辛淑玉・企画、にんげん出版、2016)から引用してみる。

 「シナ」(略)は、中国の人々の感情を害する差別語です。しかし(略)現在でも"シナ(支那)そば"などの表記に見られるように、日常的に使用されています。(略)後に日本が中国侵略を遂行する過程で、中国人をさすときに差別的響きをもって使用されるようになりました。

 

 日本政府[ママ]は、1912年に成立した"中華民国"を、あくまで「支那共和国」と公文書に記し、中国[ママ]側の再三にわたる抗議にもかかわらず呼称しつづけました。(中略)

 

 中国国民にとって、「支那」という言葉は、日本の中国侵略と結びついて、中国人に対する差別的なイメージが付与されている言葉です。

 

 -『最新差別語不快語』pp.228-229

 

 上記引用の説明では、日本人が「シナ」を使う場合に限り差別語になるということである。アメリカ人が「ジャズ」を使う場合に限り差別的なニュアンスを帯びるという話と似ている。

 

 このように、言葉は、言葉そのものではなく、誰が使うかによって異なる意味が付与されるということは、知っておいて損はないだろう。筆者同様の日本人としては、「ジャズ」を用いるときは気を使わなくていいが、「シナ」は安易に用いない方がいいということになろう。