加藤智大*1の死刑が執行された。その件について毎日新聞の記事を紹介する。「加藤智大死刑囚は『再審請求中』 人権団体が明らかに 秋葉原殺傷」(2022年7月26日20時14分(最終更新 同 21時32分)である。
記事によると、
加藤智大死刑囚の刑が執行されたことを受け、人権団体「アムネスティ・インターナショナル日本」は26日、東京都内で記者会見を開き、加藤死刑囚が再審請求中だったと明らかにした
という。
アムネスティ・インターナショナル日本「日本:死刑執行に対する抗議声明」(2022年7月26日)も併せて。
アムネスティ・インターナショナル日本によると
加藤智大さんは第二次再審請求中でした。再審請求中の死刑執行は自由権規約第6条に違反するものです。国連自由権規約委員会の勧告に基づき、日本政府は再審あるいは恩赦の申請に執行停止効果を持たせたうえで、死刑事件における義務的かつ効果的な再審査の制度を確立すべきです
とのこと。まったくの正論である。
また、アムネスティー・インターナショナルは、加藤智大の死刑執行と同じ日(2022年7月26日)に、「ミャンマー(ビルマ):30数年ぶりの死刑執行 市民弾圧に拍車」
https://www.amnesty.or.jp/news/2022/0726_9640.html と題した声明を発表している。それによると、
30年数年ぶりの死刑執行再開は、ますます多くの国が死刑廃止に舵を取る世界的潮流に逆行する。さらに、国際人権法、国際人権基準に謳われている死刑廃止の目標にも反する
とのこと。一貫している。
一方毎日新聞はどうか。社説は
https://mainichi.jp/editorial/ から見てもらうとして、加藤智大の死刑執行への非難はなく、ミャンマーにおける死刑執行のみを批判している。その社説は7月28日「ミャンマーで政治犯処刑 一線越えた暴挙非難する」
https://mainichi.jp/articles/20220728/ddm/005/070/112000c
である。
命を奪われるのはどちらも同じ。それなのに加藤への執行非難がないのでは、一貫性がない。
人間の生命が尊重されるべきは当然である*2。そうであるならば、正当防衛といった事情がない限りは殺されてはならないことは当然であり、死刑の執行自体、世界中どこでも非難すべきである。
こう書くと「被害者の権利や辛さを考えているのか、こら!」という罵詈雑言が飛ぶものだが、それにも関わらず、必要もないのに人を殺すことを肯定できないのは、犯罪の場合と同じである。被害者の権利については死刑以外の方策を考えるしかない。