清高の ニュースの感想 令和版

題名川柳・内容超一流!

高校を 退場させても ダメだって

asahi.com「だめな高校は退場してもらう 橋下知事の改革始動(1/3ページ)」(2010年3月8日。取得日2010年3月9日。http://www.asahi.com/kansai/sumai/news/OSK201003080018.html
によると、「大阪府橋下徹知事の高校改革が今春、本格的に始まる。公私間の授業料格差を無くすため、府の私立助成を大幅に拡充。公私で生徒の獲得を競わせる。また、芸術やスポーツなどの分野で成果を上げた公立に助成金を約束するなど、公立同士の競争も後押しする」とのこと。

「公私間の授業料格差を無くすため、府の私立助成を大幅に拡充」は素晴らしい取り組みである。民主党も究極的にはここまで行って欲しい。

しかし、いいと思うのはここまで。あとは、疑問点続出だった。

そもそも、どこまで「自由に学校を選べる」のがいいかがわからない。全体の底上げならば、学力差があったほうがいいかもしれないが(できない人ができる人のノウハウを盗めるようにするため。もっとも、別種の短所は考慮していない)、それが「自由に学校を選べる」で担保できるか?

「『募集定員の何割を下回れば公立は撤退』」は凶と出る可能性がある。希望者全員が後期中等(高校の)教育を受けられなくなる可能性があるからである(人気が集中した場合)。ただ、どこの自治体も財政難なので、何らかの基準で減らさざるを得ない場合もあるが、募集定員が基準でいいのかも疑問だ(地理的関係ではなぜダメ?)。

「府南部の府立高校校長は『全国1位など、脚光を浴びる生徒はごく一部。(学力的に)しんどい生徒を底上げすることが大阪全体の活性化につながるはずなのに、そういう努力をした高校が評価される仕組みになっていない』と指摘する」とあるが、もし本当ならば、こちらが深刻。全国学力テストといい、橋下改革といい、どう競争させるかがわかっていない。個人で最高点を争ったり、学校の平均を争っても意味がない。できない人ができるようになるような競争にすべきである(落第の導入やむなし)。

「別の校長は『公立は地域とのつながりが強い。地域の子どもをしっかり育てることが公立の成果なんだと分かってもらえるよう地道にPRしていきたい』と話す」ともある。これも正論。通う手間のことも考えてもだ。この発言を考慮すると、自由に学校を選べることがいいことなのかはわからない。

最後に、橋下府知事の発言の検討。

「『東アジアの子どもは必死になって勉強している。国際社会は食うか食われるかの激烈な競争。日本が子どもを甘やかしていたら、仕事がどんどんなくなってしまいますよ』」→これは正論。だから個人が最高点を目指したり、学校ごとの競争よりも、出来るか出来ないかを厳格に認定するほうがよいのだ。