清高の ニュースの感想 令和版

題名川柳・内容超一流!

「被害者」で 思考を停止 するなかれ(2)

私は、読売新聞を毎朝読んでいるが、今日(2010年10月31日)は「編集手帳」(http://www.yomiuri.co.jp/editorial/column1/news/20101030-OYT1T00945.htm
が問題だった。以下、引用(かぎカッコ内)しつつ検討する。

もちろん、「裁判所に呼ばれ、忌まわしい記憶を語らされる苦痛は女性以外にはわかるまい」と言われたら、私は男なので、わからないのだろう。しかし、以下のような記述は問題だろう。

「判決後に裁判員たちが感想を述べた。『女性の負担を考えると、音声だけでもいいと思う』『傍聴人が声を聞く必要があるのか。後で文書などを出しては』。この市民感覚を大切にしたい」

「加害者(被告)」や裁判員を無視した、「市民感覚」のない文章である。

まず、「加害者(被告)」だって市民である。「加害者(被告)」の防御だって配慮する必要はあろう。被害者保護と防御とのバランスをギリギリ取ったのが今のビデオリンク制度だろう。

また、裁判員になりうる市民としては、被害者の証言が本当かを判断するには、「モニター画面で女性の表情が見え」なければならないはずである。声色だけで判断できるのなら、ラジオドラマもみな真実になるのだろうか?

「公正を確保する」(ここだけ、芦部信喜憲法(新版補訂版)』(岩波書店、1999))ためには、原則として、傍聴人にも内容がわからなければならないはずで、「声は傍聴人にも聞こえる」ことは必要であり、「『後で文書などを出』」すのでは遅いと思う。

ここでも「被害者が」で思考を停止させず、あらゆる利益を考慮して決めるのが妥当だと言える。

最後に、抽象的で申し訳ないが、性犯罪の被害者にとって必要なのは、十分なサポート(心理的、法的、その他)と、勇気である(先日見た「スタンドアップ」のように。「今週は 映画レビューの 週だった 」(http://blogs.yahoo.co.jp/kiyotaka_since1974/51310487.html
参照)。