清高の ニュースの感想 令和版

題名川柳・内容超一流!

国籍は その人選択 すればよい

トラックバック先のエントリーは、トマト王子さんの『日本核武装して自立国家なし』「猫ひろして世界をナメとるんかい!」(2012/2/21(火) 午後 4:16。http://blogs.yahoo.co.jp/k_gannbarou/3493116.html )だが、「オリンピックのためにカンボジア国籍て・・・・・・・/カンボジア国民を舐めとんかい!」などとわめきたてて、正直やかましい。

ところで、読売新聞東京本社版2012年3月5日朝刊13版17面に、『週刊現代』2012年3月17日号の見出しがあり、曽野綾子さんが「『猫ひろしさんへの違和感について』」と題した文章を書いているようだ。

正直、曽野綾子さんは人間性が欠如している物書きのようなので、よほどのことがない限り読みたくないのだが(当ブログで「曽野綾子」で内容検索した結果は、http://blogs.yahoo.co.jp/kiyotaka_since1974/MYBLOG/yblog.html?m=lc&sv=%C1%BE%CC%EE%B0%BD%BB%D2&sk=1 )、興味をそそられる見出しである。

以前にも曽野さんは猫ひろしさんのことを書いているようである(『Photogenic Log』「猫ひろし。」(2012年2月15日。http://blog.suzukihitomi.com/?eid=919468 参照)。「猫ひろし。」によると、「今朝の産経新聞で曽根綾子さんのコラムで猫ひろしが思い切り批判されていて」とあるので、『週刊現代』の方も、おそらく猫さんに批判的な内容となるのだろう。

しかし、スポーツができることに対する僻みでしかないと思う。スポーツができれば、国籍が選べるのだ。それだけ。

サッカーだって、ラモス瑠偉さんや、呂比須ワグナーさん、三都主アレサンドロさんといった、帰化選手がいる。

え? オリンピックじゃないだろう? でも、サッカーのトップの大会は、オリンピックじゃないからなぁ。

これで以前から日本国籍の人が出にくくなったと批判するのか?日本を愚弄していると批判するのか? 「カンボジアを愚弄している」(「猫ひろし。」)というのは、とんちんかんな批判に過ぎない。以前から国籍があれば、勝てばいい話だし、帰化した人が活躍すればいいんじゃないか?

スポーツができる人は、試合に出るために、国籍を変えるなど、ありとあらゆる努力をする。一方、できない大多数の人は、応援して、気に入らなければ文句を垂れるだけ。個人の選択で国籍を変えることを批判するのではなくて、自分の人生をよくするためにどうすればいいかという風に、建設的なことを考えるべきだろう。