清高の ニュースの感想 令和版

題名川柳・内容超一流!

『ゲンロン戦記』 読む必要は なさそうだ

2021年1月11日の読売新聞統合版文化面(12版9面)に、文化部の小林佑基記者が書いた「知の『観客』育成を目指す」(その他の見出しは省略)を読んだが、それを読んだ限りでは、東浩紀(あずまひろき)さんが出した著書『ゲンロン日記』(中公新書ラクレ)は読む必要がないと判断してしまった(読者の皆さんはご一読を)。このような罪深い(?)小林佑基記者の記事を以下において検討する。

 

かなり飛ぶが、

 インテリの世界も客観的に見られるようになった。「べき論」で論理的に説教するだけのリベラル知識人の姿に、世間は「人間というものがわかっておらず、世界が狭い」と感じて軽視すると説く。「多様な出自の人が社会を論じる必要があるのに、学者の家庭に育ったような人ばかりで論じている。だから、盛んに勃発する知識人のツイッター上の論争も、世間は『暇だな』と見ている」

 -小林佑基「知の『観客』育成を目指す」。なお、「人間というもの(略)」や「多様な出自の人が(略)」は、東浩紀さんのコメント。

というのがよくわからない。そもそも「リベラル知識人」って誰?また、仮に今筆者が、例えば「保守の人が人間というものがわかっておらず、世界が狭い」と書いたらどうします?多様性を認めないという要素があるので(

保守とは - コトバンク

の「デジタル大辞泉」の2.の意味)東さんのコメントより筆者の方が的を射ているだろう(少なくとも、「リベラル知識人」のみが「『世界が狭い』」と評価するのは難しい)。「知識人のツイッター上の論争も、世間は『暇だな』と見ている」だって、それはリベラル知識人だけとは限らないだろう。

 

 日本学術会議の任命拒否問題に対するリベラル系知識人の怒りに世間が冷笑的だったのも、同じ理由。「怒る気持ちも世論が冷ややかだった理由もわかって複雑な気持ち」と語る。

 -同(カギカッコ内も同じ)

 

おそらく、「同じ理由」は、「『べき論』で論理的に説教するだけのリベラル知識人の姿に、世間は「人間というものがわかっておらず、世界が狭い」と感じて軽視」しているからということだろうが、任命拒否を公にしたことはかつてなかった(すり合わせはあったらしい)わけで、直近で任命拒否された6名のみが問題かどうかもわからないのになぜ「『人間というものがわかっておらず、世界が狭い』」と評価できるのかわからない。あと、論理的か否かが主張の妥当性を図る1つの指標であることは否定できないだろう。

 

小林さんの記事の限りでは、東さんは(「会社経営者として不動産を借りたり、融資を受け」てまでして「実務をこなして社会と向き合」(ここまでのカギカッコ内「知の『観客』育成を目指す」からの引用)っている僕ちゃんえらいでしょ?)と思っているらしいが、それこそ人それぞれだろう。著作だけで付き合う人なんていくらでもいるわけだから。

 

小林さんの記事の限りでは、東さんの批判の矛先は、知識人全般ではなく、なぜか東さんが思う「リベラル知識人」のみに向けられているが、「『べき論』で論理的に説教する」のは別に「リベラル知識人」だけとは限らないだろうし、仮に「リベラル知識人」のみであれば、それだけ「リベラル知識人」が優れているとしか言えない。

 

というわけで、「リベラル知識人」という藁人形を作って、(僕ちゃんえらいでしょ?)アピールにいそしんでいるに過ぎない東浩紀さんの本は買う必要がないな、と筆者は結論付けた。読売新聞グループの一員である(

グループ会社一覧:会社案内サイト「読売新聞へようこそ」

参照)中央公論新社の本のイメージを下げる記事を書いた小林佑基記者の罪は重そうである。