清高の ニュースの感想 令和版

題名川柳・内容超一流!

ニッポンの 野党は政治 しないもの?

 読売新聞文化部の小林佑基記者が担当している「論壇誌 7月」、今回もやってくれました(ただし進歩しているが)。題して「理念語り 政治をしない野党」。

 
 まずは政治学者の岡田憲治さんの『文藝春秋』の記事を紹介し、その後に「リベラル・野党陣営が正論に寄りかかり、議会の内外で仲間を増やすことを目的の中心に置かず、個人プレーや仲間割れを繰り返した」とする。「正論に寄りかか」るだけましだと言えよう。民主党政権になった時の自由民主党の分裂にそういう(「正論」のこと)のがあっただろうか?
 
 『中央公論』の小林慶一郎さん(経済学者)の記事を紹介後、「もちろん、問題をなかったことにしようとした政府・与党の対応にも、多くの論者が厳しい目を向けた」としているが、「約束違反だと政府を追求しても問題は消えない」などとした。この件は記事に分配。いわゆる老後資金2,000万円不足問題は、井手栄策さんの『希望の増税論(略)』(岩波新書、“2018”)でも触れられているし、老後資金が足りなくて苦境に陥ってる年金受給者については、新潮文庫の『老後破産(略)』(NHKスペシャル取材班、2018。単行本“2015”)でとっくの昔に描かれている。「“”」で強調したが、以前からわかっていたことで、ましてや野党も現役世代の所得を増やすことを主に主張していたのだから、何ら対案になっておらず、この点はたしかに現在の野党が負けである。
 
 少々飛ばして、清水唯一朗さん(日本政治外交史)の『アステイオン』90の記事を紹介し、その後、「戦前の普通選挙下」においては、「『票が利益と交換され』るために与党が常に選挙に勝ち、野党は選挙以外の方法で与党を引きずり下ろすためのスキャンダル攻撃に明け暮れた」とある。現在は「与党が常に選挙に勝つ」ことがないだけましだが、「野党は選挙以外の方法で与党を引きずり下ろすためのスキャンダル攻撃に明け暮れた」というのは、2010年から12年の日本にも当てはまる。すなわち、自由民主党が野党の時もそうだったのである。当ブログで転載した「「私は絶対に忘れない」ー【東日本大震災の「国難」で、野党自民党民主党の復興政策案の全てに反対し「審議拒否」や「内閣不信任案」も。棺桶も無く土葬して混乱の頃だ 野党の自民党は3年で85も審議拒否した】」(オリジナルはhttps://blogs.yahoo.co.jp/sasaootako/64967420.html
)、ならびに岩渕美智子『政治は動いていないのか(略)』(パブラボ、2011)をご一読。ただ、現在の日本に「政権争奪が激しくなる一方、選挙は政権選択の機会でなくなった」ということはないが。
 
 そして、三浦瑠麗さんの登場! ウェブ『論座』7月22日の記事を紹介して、その後、「盛り上がりに欠けた選挙戦を振り返る。それは、政治が今も、安保・憲法を巡る漠然とした価値観の分断を軸に展開し、選挙戦でも具体的な議論や適切な課題設定がされなかったと説く」と展開している。小林記者の紹介が正しいとすると、またしても三浦さんのとんちんかんぶりが出た話になっている。「安保・憲法」を説いているのは、安倍さんの、つまり、与党の方。でも勝っている(議席獲得数は与党>野党だから)のをどう説明するのかなぁ?
 
 記事ではまたも前述の岡田さんの話になり、岡田さんが、野党は「高尚だが響かない正論ではなく、他人の心を溶かす提案をせよと論じ」ているのだという。それって読売新聞が(でなくても)忌み嫌う、ポピュリズムということではないかな?
 
 少々まともなところがあったが(かなりの進歩!)、「ためにする批判」、すなわち、全体的に野党を批判するための批判になっているのが残念だった。それが自由民主党にも当てはまるはずなのに。