まずは、Red Bull Japanのツイッターアカウントが2021年1月11日6時59分にしたツイートを取り上げる。
【本日の読売新聞朝刊に掲載】
— Red Bull Japan (@redbulljapan) 2021年1月10日
まっすぐ、愚直に、大きくいこう。#成人の日 pic.twitter.com/WWEWgEcYVs
Twitter内で「@redbulljapan 新聞」で検索したところ、どうも読売新聞にのみ掲載のようである。
@redbulljapan 新聞 - Twitter Search 参照。
それはさておき、読売新聞2011年1月11日朝刊(宮城県の場合統合版)に掲載された広告は物議をかもしそうである。以下、検討する。
くたばれ、正論。
この世の行き過ぎた正しさが、君の美しいカドを丸く削ろうとする。正しすぎることからは、何も生まれない。常識を積み重ねても、所詮それは常識以外の何物でもないから。自分の感受性を守れ。自分の衝動を守れ。自分の中のバカを守れ。本能が面白いと感じる方へ動くんだ。まっすぐ、愚直に、大きくいこう。(以下略)
-読売新聞2021年1月11日朝刊に掲載されたRed Bullの広告
これを普通に読めば、親が言うような「正しさ」、「常識」からは「何も生まれない」から自分(おそらく成人のこと)の思った通りの道を進むんだ、というメッセージになる。
しかし、事はそう簡単ではないのである。
リベラルであるというだけで否定的評価をする人の著作を特集した読売新聞のこと(
kiyotaka-since1974.hatenablog.com
参照)、「行き過ぎた正しさ」や「常識」が、リベラルな考えだったり、ポリティカル・コレクトネス(
)だったりを意味し、そういうのに反対し、差別やヘイトスピーチを「自分の感受性を守れ。自分の衝動を守れ。自分の中のバカを守れ。本能が面白いと感じる方へ動くんだ」という風に読む読者が想定される(なお、読売新聞が差別等を扇動しているわけではない)。
要は「正論」の意味するところが問題で、どの意味を読み込むかでメッセージがわかってしまうのが問題なのである。「正論」、「行き過ぎた正しさ」、「常識」にもそれなりの理由があるということを理解するのが大人だと思う。親が言うようなものであれ、リベラルなものであれ。