お気の毒なことに、安倍晋三・元内閣総理大臣が、2022年7月8日に銃殺された。
読売新聞社は相当なショックを受けたらしく、批判と中傷の区別もつかず、安倍晋三、ならびに民主党や立憲民主党について歴史修正するほど壊れてしまっているようだ。以下、3本の記事をご一読。
「批判と中傷 区別ができぬ 読売が」
https://kiyotaka-since1974.hatenablog.com/entry/2022/07/09/183059
「読売が 安倍につき 歴史修正」
https://kiyotaka-since1974.hatenablog.com/entry/2022/07/13/225042
「読売が 立民につき 歴史修正」
https://kiyotaka-since1974.hatenablog.com/entry/2022/07/14/233208
そして今度は、民主主義を否定してしまった。それは、読売新聞2022年7月16日社説「安倍氏国葬に 内外の悼む声を踏まえた判断」である。
社説によると、
国葬という最高の形式に、異論がある人もいよう。だが、不慮の死を遂げた元首相の追悼方法を巡って日本国内が論争となれば、国際社会にどう映るか。そんな事態を、遺族も望んではいまい
とのことだが、日本のことであり、人権問題でもないのだから、「国際社会」がどうあろうが、論争があったらあったでいいのではないだろうか。それにしても、遺族が国葬を望んでいるとすれば、虫のいい話にしか見えない。一般市民は、たいてい自分、または家族で葬式費用を工面するものである。
これは筆者の偏見ではない。『「諸君!」「正論」の研究(略)』(岩波書店、2011)という好著のある上丸(じょうまる)洋一さんのツイートもそうである*1。2022年7月16日12時27分のツイート。
国葬。読売社説「国葬という最高の形式に、異論がある人もいよう。だが、不慮の死を遂げた元首相の追悼方法を巡って日本国内が論争となれば、国際社会にどう映るか。そんな事態を、遺族も望んではいまい」
— 上丸洋一 (@jomaruyan) 2022年7月16日
遺族が嫌がるから論争は控えよ、黙って受け入れろと。それは民主主義ではない。
言葉を誤用し、歴史修正し、民主主義まで否定する。読売新聞の壊れっぷりが深刻である。偉大ではあるが、1人の政治家が銃殺されたくらいで。
*1:というか、上丸さんのツイートを読んで、客観性がありそうだと思ったので、本エントリーを作った。