清高の ニュースの感想 令和版

題名川柳・内容超一流!

慰安婦も 差別問題 だったのか

 某サイトでコメントを寄稿するために筆者はアジア女性基金のサイトを調べたが、そこには以下のようなことが書いてあった。

 

(前略)ここで満21歳以上としたのは、日本が加入していた「婦人・児童の売買禁止に関する国際条約」で未成年者に売春をさせることが禁じられていたからです。

(中略)

 日本の国内からの女性の調達がこのように進められたとすると、台湾や朝鮮からの調達はどのように進められたのでしょうか。朱徳蘭女史の研究は、1939年の台湾での事例を明らかにしています。海南島を占領した海軍から台湾の海軍武官に要請がなされ、そこから華南と東南アジアの軍事的経済開発のために設立された国策会社、台湾拓殖株式会社に要請が行われました。この会社が海南島慰安所のための建物を建設し、業者の選定を行ない、資金の提供を行いました。業者は自分の抱える女性をひきつれて、海南島へ渡っています。業者は日本人で、慰安婦とされた女性たちはすでに「醜業に従事している年齢21歳以上」(朱徳蘭編『台湾慰安婦調査と研究資料集』)の者でした。この場合は、日本本土と同じ基準で募集がなされているようですが、この形がいつも守られたかどうかは、不明です。なお日本政府は1925年に「婦人・児童の売買禁止に関する国際条約」を批准するに当たって、植民地を適用外としています。

 -『デジタル記念館 慰安婦問題とアジア女性基金』「慰安婦とは―女性たちを集める」

https://www.awf.or.jp/1/facts-04.html

 

 朝鮮でも、警察が、日本の内地の警察と同じように、軍の依頼を受けた業者の募集を助けるさいに、警保局の1938年2月通達に従っていたかどうかは不明です。(中略)資料によれば、朝鮮からは、内地では禁じられていた21歳以下の女性が多く連れて行かれたことが知られています。中には16、7歳の少女も含まれていました。

 -同「慰安婦とは―女性たちを集める」

https://www.awf.or.jp/1/facts-05.html

 

 徴用工の問題も、究極的には差別の問題であるが*1慰安婦の問題もそうだったとは。

 

 たしか、大日本帝国は、1919年のパリ講和会議において人種差別撤廃案を提出したが*2、「国内で中国人・朝鮮人を差別視している日本には、こうした提案をする資格はない、という対日批判もあった」*3というのが、1919年当時はさておき、徴用工や慰安婦問題については正しいようである。

 

 なお蛇足。日本政府は、慰安婦像を作ることに神経をとがらせているが*4、当時の国際法の適法性に関わらず差別的に取り扱っていたのは事実である、すなわち、少女が慰安婦にされたのは事実であるから、抗議しないで黙っていればよろしい。

*1:当ブログで「徴用工」で検索した結果のアドレスを示すので、ご一読を。

https://kiyotaka-since1974.hatenablog.com/search?q=%E5%BE%B4%E7%94%A8%E5%B7%A5

*2:『現代の日本史(日本史A)』(鳥海靖ほか、山川出版社、2013)p.94)

*3:*2に同じ。

*4:共に産経新聞の記事だが、「<独自>ベルリン慰安婦像 設置1年延長 日本政府が抗議」(2021年9月5日19時50分。

https://www.sankei.com/article/20210905-B3EUO52BCNKQVHYIIVVDJF6BUY/ )、「『歴史戦』の最前線」(2022年10月10日10時。

https://www.sankei.com/article/20221010-2IR7MSM33RLSHGAL6HUF7NJBFI/ )