いわゆる徴用工問題で動きがあったのは報道に任せるとして。
今日は基礎知識の勉強。
いろいろな説明が載っているが、筆者は、『旺文社日本史事典 三訂版』とされる説明を引用する。
太平洋戦争中の労働力不足を補うため,朝鮮人を日本へ強制的に連行したこと
初めは炭鉱・土木など会社による募集の方式だったが,1942年から朝鮮総督府下の「官斡旋」方式になり,'44年から国民徴用令が適用された。(中略)女子挺身隊の名のもとに従軍慰安婦として駆り立てられた女性もいた。
日韓で問題となっている、いわゆる徴用工問題の基礎知識として使える。「(中略)」以下は慰安婦の説明だが、それを一連としてとらえるのは、何らおかしな見解ではない*1。
コトバンクの下の方には「関連語をあわせて調べる」という項目がありまずは「朝鮮人強制連行」をクリックする。
まずチェックするのは「武井一」が何者かである。筆者がググったりした結果、HMV&BOOKS-online-*2にある、以下の内容の人と思われる。
1963年東京生まれ。成蹊大学法学政治学研究科博士前課程修了。現在、都立日比谷高校などで地歴、公民科と韓国語を教える傍ら、韓国の歴史や文化を研究(以下略)
詳しそうな人なので、とりあえず信用して、以下、コトバンク「朝鮮人強制連行問題」からいくつか引用してみる。
・日本が朝鮮を植民地としていた1910年(明治43)から1945年(昭和20)のうちで、日中戦争と太平洋戦争中に、主として炭鉱などの労働に従事させるために、本人の意志と関係なく朝鮮人が動員されて、日本本土に連れて来られたこと、およびそれによって生じた諸問題をいう。植民地であった朝鮮からは、さまざまな形で労働力が流れ込んでいた。自分の意志で来た人もいる一方で、徴用などを背景に、自分の意志と関係なく連れて来られた人々も(いた)
・1939年から1941年までの朝鮮における募集は「自由募集」で、日本本土の企業から派遣された「募集人」によって行われた。1942年以降は、「自由募集」にかわって「官斡旋」となった。
・朝鮮人強制連行真相調査団編『朝鮮人強制連行調査の記録 中国編』など、各地で採取された証言記録によれば、自主的にこのような募集に応じた例も多いものの、警察官や町村役場にあたる面事務所の役人に連行されて手を縛られたまま銃剣を突きつけられて船に乗せられた、あるいは、突然留置場に入れられたのちに船に乗せられたというように、明らかに物理的暴力や心理的圧迫による事例も見受けられる。朝鮮総督府もこのような事態を無視できず、(以下略)
・朝鮮人労働者を雇用する日本企業の多くでは、日本人と異なる労務管理が行われ、日本語のできる朝鮮人が労務管理者となることも多かった。また、朝鮮人労働者の逃亡を防ぐために「監獄部屋」もつくられた。このような事態に、朝鮮総督府側は日本側に対して、労務管理の改善を要求していた。太平洋戦争終結後、連合国最高司令官総司令部(GHQ)と日本政府は朝鮮人労働者を優先的に帰国させた。その結果、未払い賃金を受け取れないとか、国民徴用扶助規則などの援護制度で、徴用時に受給できるはずであった手当などの補償を得られない等の問題が残った。
筆者の調べた限り、この内容で正しいが、そうだとすると、「ちょーよーこーもんだいはかんこくのせきにんでなんとかしろー!」などと言ってもやかましいだけで、大日本帝国→日本国側が責任を取るべきというのが、人間の考えであろう。それと、日本と大韓民国との条約と矛盾しないように大法院が判決を出しただけである。
現実社会でどのような解決策が出ても、日本人とすれば、被害に遭われた韓国・朝鮮人*3に贖罪意識を持つのは当然のことで、徴用工問題について意見を述べるときには、現在の日本国、ならびに被告企業ではなく、第1に原告のことを考えるべきである。
*1:筆者の手元にある、『現代の日本史(日本史A教科書)』(鳥海靖ら、山川出版社、2013)p.131の本文と注③を参照。
*2:
https://www.hmv.co.jp/artist_%E6%AD%A6%E4%BA%95%E4%B8%80_200000000628918/biography/
*3:日本において通用すると筆者が認識している名称を用いた。ブログ記事アップ時点で北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)とは国交がないので、「北朝鮮人」とはしなかった。