サッカー日本代表の監督は、森保一(もりやすはじめ)*1の続投となった。時事ドットコム「『日本に不可能はない』 森保一氏の一問一答―サッカー日本代表」(2022年12月28日20時20分)をご一読。
時事ドットコムの記事を紹介したのは、森保の以下の答えが気になったからである。
日本に不可能はないという信念を持って挑戦したい
日本人である喜びと誇りを持って世界に挑める素晴らしい職業であるということで決めた*2
まず、サッカーの監督の仕事の一つは、そのチームを勝たせることなのだから、日本代表監督であれば、「日本に不可能はないという信念を持って挑戦」*3することは当たり前である。
また、同じ理由で、別にサッカー日本代表の監督が日本人である必要はないので、「日本人である喜びと誇りを持って世界に挑める素晴らしい職業である」*4ということにもならない。
ところで、森保の上記の発言を気にする前にも、筆者は森保の発言に引っかかりを感じた。筆者の記憶では、「日本国民」を連呼していたが、それは客観的事実であろう。朝日新聞デジタル「のど自慢の『夫さん』に鐘三つ では『主人』を軽んじる岸田内閣には」(高橋純子・編集委員。2022年12月21日7時30分)をご一読ください。
高橋によると、
サッカー日本代表の森保一監督はなぜ「国民のみなさん」と呼びかけるのだろう? 「応援してくれたみなさん」「サッカーファンのみなさん」が妥当で、言ってもせいぜい「日本のみなさん」では――と、細かい言葉遣いに反応するのは私の悪い癖
とのことだが、言葉を生業とする新聞記者、ましてや編集委員であれば当然だし、筆者*5も賛成である。ただ、筆者は「『日本のみなさん』」*6すらも問題だと思っている。
簡単なことで、サッカー日本代表は「日本国民」または「日本人」しか応援しないのだろうか、ということである。世界中のサッカーファン*7が日本代表を応援しているものとして発言してほしいのである。もし森保が現在のサッカー日本代表が世界中のサッカーファンを虜にしていないと思っているのであれば、そこをどうするかを考えてほしい。もっとも、サッカーの試合の重要な目的*8は試合に勝つことだけれど。