清高の ニュースの感想 令和版

題名川柳・内容超一流!

責任を とりたくないの あたりまえ

最近、いじめ自殺事件や履修漏れ事件で学校の責任を問う声が大きいが、校長などが責任逃れの発言に終始しているという批判に接することが多い。これを記に、なぜ校長などが責任逃れの発言に終始するのかを考えてみたい。

まずは、責任の定義から(『広辞苑(第4版)』より)。
/佑引き受けてなすべき任務
∪治、道徳、法律などの観点から非難されるべき責、科。

いじめ事件などで責任を問うのは、△琉嫐もあろうが、主に,琉嫐だろう。一方、校長がもっぱら逃れようとしているのは、△琉嫐の責任ではないだろうか。また、,琉嫐だとしても、学校は本来は知識伝授の場所で、いじめ対策までしたくないというのはやむを得ないのではないだろうか(だからといって、しなくていいことにはならないのは言うまでもない)。

というわけで、校長などが責任逃れの発言に終始するのは、△琉嫐なら当然(どんな人でもそう。ただ、いじめ事件が起こったということは、生徒の安全に対する配慮が不十分であった可能性があり、責任を負うかもしれない)、,琉嫐ならある意味理解できるとするのが妥当だと思うが、いかがだろうか。