asahi.com(http://www.asahi.com/national/update/0209/TKY200702090411.html)
によると、指導力不足の認定や研修について、国が基準を定めるという。
上記のサイトの記事を読んでわかるように、たしかに基準がばらばらというのがいいとは言いがたい。しかし、都道府県教育委員会が人事権を持っているので、やむを得ないのではないか。
それより、気になるのは、国が教員の排除について熱心なことである。上記のサイトに書かれているように、たしかに授業が成立しないのは迷惑だが、それでもその教師の排除を図るのではなく、全員の先生方で協力するのではダメなのだろうか。
もっと気になるのは、そもそも指導力不足の教師は、本当に指導力不足なのか、ということである。以前、読売新聞に、文部科学省の調査として、指導力不足の教師の8割が40代以上の教員だというのが載ったのだが、関連記事を見ると「その程度で指導力不足ですか」と突っ込みたくなるような事例があった。また、野田正彰『させられる教育―思考途絶する教師たち』(岩波書店)でも、指導力不足の認定が恣意的にされている様が書かれている。つまり、私が言いたいのは、「指導力不足」の名の下に国の気に入らない教員が排除されているのではないか、ということである。
もしそうだとしたら、国民にとって不利益になるのではないか。世の中には、いろいろな考えを持った人がいることを学べないし、場合によっては、真理が歪められるからである(真理というとオーバーだが、要は教科の到達点である。それが国の気に入らない場合に教えた教員を排除しようと「指導力不足」のレッテルを張ることは十分にある。上記の野田さんの本参照)。
国も、教員の排除にばかり熱心になっていないで、必要単位の大枠などの最小限の援助にとどめて、現場の創意工夫に任せるべきである。