清高の ニュースの感想 令和版

題名川柳・内容超一流!

反対の ためなら何でも やるんだな

読売新聞2008年11月28日朝刊34頁(仙台では)によると、「「裁判員制度は要らない!大運動」(東京)が」「東京・霞ヶ関の司法記者クラブで会見し」、「裁判員制度では刑事裁判の審理期間が短くなるため、「被告の権利が侵害される」と廃止を求めて」いるという(かぎカッコ内上記読売新聞から引用)。

裁判員制度を導入するには、期間を短縮して審理を迅速化しなければならないので(もちろん、事件毎の選任が原因)、「被告の権利が侵害される」というのはわかる。

しかし、裁判員という素人が参加することは、検察側の言い分を聞きやすいとされる裁判官の偏見を正し、冤罪を防ぐためには大事ではなかったっけ?

迅速化の問題は承知するが、何でも反対の運動のように感じるのは気のせいか。

実際には、素人が参加するとどうなるかは、諸説ある。冤罪を防ぎやすいという説もあるし、間違える可能性が高まるという説もある(「やっていない人は専門化の裁判を望み、やった人は陪審を望む」という趣旨のことを、テレビでもおなじみな藤本哲也中央大学教授の本で読んだことがある。もっとも、裁判員制度は裁判官も参加するので、可能性は陪審より低いかもしれない)。本当はどちらなのか。また、市民にとってはどちらがいいのか。

なお、ラードブルフの『法学入門』(東京大学出版会)で読んだ記憶があるが、そもそもは無罪を証明するための陪審(→市民参加)だったという。これも本当はどうなのだろう。まぁ、被告人も被害者も市民であることを肝に銘じて参加されることを読者の皆様には勧めたい。