清高の ニュースの感想 令和版

題名川柳・内容超一流!

芥川の 選考過程に ツッコムよ

第142回芥川賞は該当作なし(作品の感想を含め、右記のページ参照「清高的 芥川賞 142」(http://blogs.yahoo.co.jp/kiyotaka_since1974/50007493.html
)。

芥川賞の選考は極めて公平と聞いているが(以下の記述も、公平性に疑問を持つものではない)、今回の選考過程には、若干の疑問を持った。以下、それを、上記MSN産経ニュースを中心に、読売新聞2010年1月18日朝刊11面(仙台では)「記者ノート 芥川賞 11年ぶり該当作なし」(以下、「記者ノート」と記す)で補足して記す。

まず、今回の該当作なしの理由は、3作の争いで、1作や2作に決められなかったということのようだ(上記MSN産経ニュースによると、「残り3作で討論と投票が2度繰り返された」とのこと)。

それでは上記MSN産経ニュースを読み進めることにする(以下のカギカッコは断りのない限り上記MSN産経ニュース)。

「池澤氏は『今回の5作はいずれも小説を書くこと自体が前提にあるようで、一本強いものが足りない印象を受けた(以下略)』」とのこと。でも、それなら賞なんか設けなければいいんじゃないの?賞があるから小説を書くということを否定は出来まい。なお、今回の5作品がそうだとは言っていません。

藤代泉さんの『ボーダー&レス』につき、「『終盤で差別を丸め込むようなアンフェアな言葉が出たのは致命的」との意見もあった」という。具体的には?どうも私が読み飛ばしたようだ。

松尾スズキさんの『老人賭博』については、「『弱者の失敗を笑うタイプの小説。安全な場所にいる語り手に倫理的に嫌な部分が残る」との批判があった」という。また、「記者ノート」によると、「映画に出演する老俳優のミスの回数をスタッフが賭ける諧謔的な内容は『基本的に弱者を笑う小説だ』」ともある。私はそう感じなかったし(何でも賭けにするとは感じたが)、小説は「倫理的」(上記MSN産経ニュース)でなければならないものだろうか?

最後に、舞城王太郎さんの『ビッチマグネット』について。上記MSN産経ニュースによると、「『文学として洗練に欠ける』(具体的には、「『“キモッ!”など、大きな文字で書くのは文学として洗練を書く』」。この部分は「記者ノート」から引用)『タイトルが嫌だ』といった辛辣(しんらつ)な感想も漏れた」という。しかし、文字といい、『ビッチ』といい、なぜそうなのかをもっと考究すべきだろう。報道の通りだとすれば、そこいらの素人読者レベルである。

上記MSN産経ニュース、ならびに「記者ノート」を見た限りでは、芥川賞は公平だとは言えるかもしれないが、レベルの高い審査をしているようには感じられなかった。プロの作家なのだから、もっとうならせる感想を出してほしかった。

最後に「記者ノート」にも一言噛み付くと、「『5作とも一本、強いものが足りない』。ならば、妥当な判断である」と、待田晋哉記者が書いているが、選考委員の発言に批評を加えていないところから見ると、候補作品を1作も読んでいないか、強いものには媚びる弱虫か、字数が足りなかったか(これであってほしいが)、どれかであろう。

*なお、「芥川賞の選考は極めて公平」、「3作の争いで、1作や2作に決められなかった」(この部分のカギカッコは本エントリー)ことについては、佐伯一麦芥川賞を取らなかった名作たち』(朝日新書)をお読みになればよくわかると思います。