清高の ニュースの感想 令和版

題名川柳・内容超一流!

検察審 廃止も結構 有力だ

asahi.com「民主・可視化議連で検審制度に批判相次ぐ 強制起訴議決」(2010年10月5日11時37分。同日アクセス。http://www.asahi.com/politics/update/1005/TKY201010050127.html
によると、「民主党の『取り調べの全面可視化を実現する議員連盟』が5日、国会内で会合を開いた。小沢一郎元代表に近い議員も多く参加。強制起訴を決めた検察審査会制度への批判が相次いだ」という。

上記asahi.comの理由付けは、ちょっとどうかと思った。

また、当ブログでは、「現行制度でよい」とも書いた(「プロセスを 見れば批判は わかるけど 」(http://blogs.yahoo.co.jp/kiyotaka_since1974/51210191.html
参照)。

しかし、よく調べると、「検察審査会制度の見直し」(上記asahi.com)、私案では検察審査会制度の廃止は、結構有力な選択肢なのである。以下、理由を述べる。

そもそも検察審査会制度は、「アメリカの大陪審に示唆を得ている」(『法律学小事典(第3版)』(有斐閣、1992年)p285。最新版での確認を乞う)制度だが、「今日では、イギリスでは廃止され、アメリカでも約半数の州では必要とされていない」(『同』p171)という。内容は少々古いが、復活したという話は聞かないから、現在でもそうなのだろう。すなわち、起訴段階での民意反映は縮小傾向にあると見てよい。

また、松尾浩也刑事訴訟法(上)(新版)』(弘文堂法律学講座双書、1999年)p144によると、「予審判事にせよ、大陪審にせよ、公判裁判所以外の機関に起訴の当否を審査させることは、審査が広汎かつ丹念であれば手続の重複が感じられ、逆に限定的で簡単なものであれば手続が形骸化する嫌いがあって、必ずしもうまくいかない」そうだ(もっとも、引用箇所は、「不当な起訴の防止について(中略)検察官の判断だけで公判の開始に至るとは限らないように工夫している」(p144)場合の話で、小沢さんの事例と直接関係があるわけではない。また、『同』p143では、検察審査会について、「刑事司法に対する国民参加の貴重な機会を提供していることは疑いを容れない」と、肯定的に評価している(ただ、刊行当時とは異なり、現在は、裁判員制度がある)。

実際に起訴相当になった場合、訴追するのは弁護士。有能な弁護士は多いのだろうが、訴追のプロである検察官よりいい仕事ができるかどうか、疑問がある。それに、検察官が精査しても起訴できない事件を、普段は訴追しない弁護士がやってうまくいくのだろうか?

検察審査会が起訴相当を乱発した場合にも重大な懸念がある。すなわち、起訴相当を乱発したおかげで、裁判が滞ることが懸念される。

それに加えて、財政赤字が深刻である。

したがって、検察審査会の廃止というのは、結構有力だと考え直した次第である。