清高の ニュースの感想 令和版

題名川柳・内容超一流!

死刑はね 当然だけど 間違いが

いわゆる、秋葉原における無差別殺傷事件の被告人に、死刑判決が出た。現行法を前提とすれば、死刑は当然である。

しかし、それを伝える記事の中には、おかしなものも散見している。その代表例(すべては見ていないが)は、読売新聞2011年3月24日社説「秋葉原事件死刑 理不尽な凶行が断罪された」(http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20110324-OYT1T01058.htm
である。以下、検討する。

大々的に書いたが、間違いは以下の1点である。

「昨年1月の初公判以来、公判は30回に及び、出廷した被害者や遺族らは42人に上った。被害者らの多くの供述調書について、弁護側が証拠採用に同意しなかったため、法廷での証言により事実を認定する必要が生じたのだ。/つらい記憶を呼び戻して証言しなければならない被害者や遺族の立場を思えば、弁護側の手法には疑問符が付く。裁判官にも厳格な訴訟指揮を期待したい」

まず、「供述調書」、「弁護側が証拠採用に同意しなかった」から、「供述調書」は捜査機関が作成したものと推測してよいが、「同意しなかった」から、被告人に不利な内容だと推測できる(有利な内容ならば同意するだろうから。また、読売新聞を読んだ限りでは、不利でない旨の証明がない)。不利な内容なのに、反対尋問権を放棄(判例)するほうが問題だろう。つまり、弁護側の不同意は当然の行為である。オウム事件において、いわゆる麻原弁護団が、重箱の隅をつつくと批判された(この時は毎日新聞を購読していた)のを思い出したが、おそらく本エントリーのように(被告人の権利を守っていると)考えてよい。

また、「法廷での証言により事実を認定する必要が生じたのだ」と、法廷での証言を否定的に書いているが、法廷で事実を認定するのは裁判の基本のはずである。非公開で、弁護士抜きで裁判をすべきというのか?もしそうなら、被告人側の事情が考慮されず、不当な裁判となろう。

こう書いたからと言って、清高が「つらい記憶を呼び戻して証言しなければならない被害者や遺族の立場を思」っていないわけではない。もし、被害者や遺族につらい思いをさせてまで証言させないとすれば、以下の処方箋が考えられる。第1に、検察側が、被害者を証拠としないことである(いわゆる供述調書を証拠として提出しない、証人にしない)。第2に、(現行法では無理だが、)被告人の刑を軽くすることを条件として、証言させないことである。しかし、これらの処方箋は、本当に被害者や遺族の望むことなのだろうか?被害者や遺族が勇気をもって証言すること以外、処方箋がないのは、刑事被告人に証人審問権(憲法第37条第2項)があることからすると、仕方のないことである。

最後に、「裁判官にも厳格な訴訟指揮を期待したい」の部分もダメである。被害者感情は、いわゆる永山基準で死刑の判断基準になっているし、死刑如何にかかわらず考慮するものである。それからすると、反対尋問をなくすことは、「訴訟関係者の本質的な権利を害」(刑事訴訟法第295条第1項)する可能性が高く、無理である。