清高の ニュースの感想 令和版

題名川柳・内容超一流!

新潮に 礼儀と伝統 教えたる

仙台では届いていないが、読売新聞2011年4月7日朝刊12版8面に、『週刊新潮』2011年4月14日号の広告があるが、それによると、「両陛下『お見舞い』に胡坐で応じた避難者に誰か礼儀を」とあるとある。

次の2つの状況が推測される。

第1に、避難者が正座できなかった場合。もしそうだとしたら、非難は最低である。

おそらくは、第2の、避難者が正座できた場合であろう。しかし、絶対的なものだろうか?

正座の歴史は、そんなに長くはないようだ。『週刊エコノミスト』(日にち失念)でも、一般人が正座をしたのは明治時代だし(正確ではない可能性があります)、日本文化いろは辞典(http://iroha-japan.net
で、「正座」(トップページからアクセス)の項を見ると、「正座は、古来から日本国民の正しい座り方として普及していたものではありませんでした。(中略)胡坐〔あぐら〕など」が「各々正しい座り方として普及していました」し、正座が「一般に普及し始めた」のは、「医学博士・入澤達吉〔いりさわたつきち〕の論文『日本人の坐り方に就いて』(史学雑誌第三十一編第八号 1920)によると江戸時代の元禄享保頃と推定されているのが有力」だそうだ。

週刊新潮』は、胡坐をかいた被災者を非難したかったようだが、正座についての歴史を知らない文章の可能性が高い。天皇・皇后両陛下の思いを勝手に推測してはいけないが、正座でなければいけないといった狭い心は持っていないはずである。『週刊新潮』は、皇室叩きの雑誌のようである。右翼の街宣車が来なければいいが。

なおついで。読売新聞2011年4月7日朝刊12版9面には『週刊文春』2011年4月14日号の広告が。それによると、「スクープ 菅直人 震災翌日 『献金外国人』に口止め電話! (中略)これは被災者への背信行為だ」だって。まず問題意識がダメ。フランスなど、外国人個人が献金していい国があるのに、なぜ日本ではダメなのかが問えてない。それはさておき、トイレに行く時間があれば、「『過去も現在も未来もあったことはなかったことにしてくれ』」ぐらいは言える。このような些細なことを「スクープ」と大々的に銘打つのは、現時点では投票(イラ菅とされるから、解散するかも。解散後は40日以内に選挙。憲法第54条第1項)が難しい被災者を政治の場から外しかねず、政府を信用できないというメッセージを発して被災者を不安に陥れる効果しか想定できない。「これは被災者への背信行為だ」ぞ、『週刊文春』よ!

*2011年4月9日タイトル改題