清高の ニュースの感想 令和版

題名川柳・内容超一流!

そもそもは 学校がやれば いい話

上記MSN産経ニュースによると、「沖縄県石垣市与那国町竹富町からなる「教科用図書八重山採択地区協議会」が選定した育鵬社の公民教科書が一転「不採択」とされた問題で、県教委は採択結果の国への報告最終期限となった16日、3教委に、改めて教科書一本化へ向けて協議するよう指導する方針を明らかにした。文部科学省は県教委に事実上、竹富町教委に育鵬社を採択するよう指導したが、これに応じず再協議へと差し戻した形」になったという。
 
同じMSN産経ニュースの「制度のあり方、文科省検討へ法改正を含め」(2011.9.16 22:17。http://sankei.jp.msn.com/life/news/110916/edc11091622180005-n1.htm) によると、「採択に関する法律は、採択地区内の教育委員会で同一教科書を採択するよう求める「教科書無償措置法」と、採択の権限を市町村教委に与える「地方教育行政法」がある。協議会は育鵬社の教科書を選定したため、無償措置法に従えば3教委は育鵬社の教科書を採択することになるが、竹富町は地方教育行政法を根拠に東京書籍の教科書を採択した」とのこと。
 
詳しくはわからないが、矛盾した法律があるのが混乱の元ではある。
 
しかし、何で教育委員会が教科書を決めなければいけないのかが、良くわからない(解釈論としては正しくても、政策論としてはどうか、ということ)。
 
教えるのは先生。先生がより教えやすい教材でやるのがいいと思う。このことのどこがいけないのか? 中学校の先生ならば、専門知識はあるのだから(科目ごとに教員免許を取得するから)、それが最善だと思うのだが。
 
同じ地区内で転校した場合に(例えば、都道府県にまたぐ転校ならば、1980年代でも、教科書が変わるのは仕方がなかった。宮城県から北海道の中学校に転校経験のある私の体験)、学校が変わると教科書が変わるというのが不都合(財政面、生徒の学習面、その他)だから今日の制度なのだろうか? しかし、それなら、どの教科書でも対応できるような授業を先生がすべきだろう。
 
私は大学を卒業しているが、大学の場合、教科書は指定されても、それを買わないで別の教科書を用いても単位を取得できる場合がある(もちろん、教科書を買ったほうがいいのは言うまでもない)。このようなあり方がなぜ悪いのかもわからない。
 
解決の道は、学校ごとで教科書を決めても、ノートの取り方を教えるなどして、どんな教科書でも対応できる授業方法を模索することになろう。教科書は、学校で買って、生徒が学校内で借りるという形式でいいだろう(こういう国もあると聞く)。そして、教科書を市販して、生徒が好きな教科書を買えるようにもすべきである。
 
実際に教えるわけではない人が選ぶより、本エントリーの方法論のほうがよほどいいと思うが。もっとも、これがために学力が上がるとまでは言わないが。