清高の ニュースの感想 令和版

題名川柳・内容超一流!

妥当性 どうでもいいが 保守なんだ

2014年3月17日の、日本では保守とされている新聞の社説の1本は、なぜか沖縄県竹富町に対する教科書是正要求の問題である。

 
①YOMIURI ONLINE「竹富町の教科書 学校の違法状態は看過できぬ」(http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20140316-OYT1T00779.htm )
 
②(本エントリーの転載元)MSN産経ニュース「教科書是正要求 教委は法守り信頼回復を」(2014年3月17日3時32分。http://sankei.jp.msn.com/life/news/140317/edc14031703330000-n1.htm )
 
しかし、①、②の社説執筆者がいくら力んでも、いわゆる保守系の新聞の、教科書是正要求についての社説に、妥当性はない。以下、引用しつつ検討する。
 
まず①。「教科書無償措置法は、複数の市町村で構成される広域地区では、教師が教材の共同研究をしやすいといった理由から、同一の教科書の採択を義務づけている。竹富町の独自採択が、無償措置法に違反するのは明白である」について。「違反するのは明白」というのは正しいとしても、「複数の市町村で構成される広域地区では、教師が教材の共同研究をしやすいといった理由から、同一の教科書の採択を義務づけている」のが妥当だとはいえない。
 
私は宮城県民なので、宮城県で話をするが、宮城県教科書供給所HP「小中教科書県内採択一覧表」(http://www.miyakyo.co.jp/textbook/saitaku/)  
から「平成25年度 小・中学校用教科書採択一覧」をクリックすると、同じ仙台市でも、仙台市の広域だと、中学校の公民は東京書籍だが、同じ仙台市にある仙台二華中学校は清水書院、青陵中等教育学校は教育出版である。二華、ならびに青稜は中高一貫校だが、中高一貫校は独自に採択でき、そうでないことろは学校で採択できない制度の合理性が説明できない(蛇足だが、「教師が教材の共同研究をしやすい」を突き詰めれば、国定教科書にした方がマシである)。なお、採択権者は文科省HP「6.教科書採択の方法」(http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/kyoukasho/gaiyou/04060901/__icsFiles/afieldfile/2013/12/04/1235091_01.pdf)    
をご一読。国立と私立は校長、公立高校については「法令上、具体的な定めはありませんが、各学校の実態に即して、公立の高等学校については、採択の権限を有する所管の教育委員会が採択を行ってい」る、すなわち学校によって教科書が異なる。なぜ公立の高等学校、ならびに国立・私立と違っていいのかがわからない。
 
更に①を読むと、「当時の民主党政権が、自前での教科書購入を容認する姿勢を示し」ただとか、沖縄「県教委は「大きな問題は生じていない」などとし」たが、なぜそれがいけないのか?「竹富町教委は町民らの寄付で東京書籍の教科書を購入し、一昨年4月以降、生徒に配布して」いるのであり、国民の税金が無駄に使われているわけではない(なお、文部科学省HP「第2章 義務教育費負担の現状、沿革及び国際比較」(http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/gijiroku/04053101/002/003.htm  )によると、「教科書については、義務教育無償の精神に則り、国において購入し、一人一人の児童生徒に給与することとされている」という)。
 
次は②。「勝手に好きな教科書を使っていいのであれば、公教育は成り立たない」と力んでいるが、育鵬社であれ、東京書籍であれ、ともに文部科学省の検定を通ったのだから「勝手」とも言えない(例えば、学問的根拠がない市販の本を教科書にしたのならば言えるかもしれないが)。
 
「教職員組合などの特定の政治主張を排し、公正な採択」というのもよくわからない。教えるプロは、普通の市民ではなくて教員である。教員の声が大きいことが悪いとも言えない。市民だって「特定の主張」をして、例えば『新しい歴史教科書』を採択しろ、するなとやっているではないか。なお、仮に教職員組合の影響で不公平な採択がされたのであれば、他の教科書ぐらい保護者が買えばいかがか?在住都道府県+教科書供給所で検索して、各自で調べられたし。
 
①、②の社説は、ホーリツなんだから従え、としか言っておらず、論評になっていない。①、②の社説執筆者は、政府の気に入らない社説を書いたら死刑という法律も従うんだろうなぁ。こういうのは悪しき法実証主義でしかない。
 
私見を述べると、現場に近いほうが採択するように法改正すべきである。理想は学校ごと(国・私立の校長がたぶん一番妥当)、それが無理なら個々の教育委員会が採択すればいいと思う。竹富町の事例であれば、広域採択などという下らない制度はやめて、竹富町だけ東京書籍でいいのである。教育は精神活動の側面もあるのだから可能なかぎり現場の裁量に任せるべきと考えるからである。
 
保守とされるメディアの、ホーリツだから従え、としか言ってない馬鹿げた社説の口直しとして、朝日新聞毎日新聞の社説のサイトを示す。
 
朝日新聞2014年3月15日社説「沖縄の教科書 両方を使ってみては」(要登録記事。http://www.asahi.com/articles/DA3S11030032.html?ref=editorial_backnumber
 
毎日新聞2014年3月15日社説「社説:国の是正要求 教科書選びにそぐわぬ」(http://mainichi.jp/opinion/news/20140315k0000m070143000c.html
 
私見では、④が妥当と考えることを付記する。
 
*ウェブサイトは2014年3月17日アクセス。