2011年11月10日21時54分配信のYOMIURI ONLINEの記事(http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20111110-OYT1T01150.htm) によると、「北朝鮮拉致被害者の有本恵子さん(失踪当時23歳)を巡り、テレビ番組で「外務省も生きていないことはわかっている」と発言したジャーナリスト田原総一朗氏(77)に対し、慰謝料100万円を両親に支払うよう命じた4日の神戸地裁判決について、田原氏は10日、控訴しないとのコメントを発表した。/田原氏は「控訴は裁判を長びかせ、有本さんご夫妻を苦しめることになる」とした」とのこと。
田原さんの賢慮には敬意を表したい。
読み進めると、「田原氏はコメントの中で「政府の公式見解や現実の交渉態度の背景にある事情を自由に議論することを認めずに、民主主義社会における十分な政策論議が保障されるのか、という問いに対する答えがない」と判決に不満も示した」という。
田原さんが控訴しないのは、被害者を慮っている側面があり、結構なのだが、「「自由な議論」」や、情報が入ってこなくなるというリスクを、被害者、国民は持たざるを得なくなるだろう。
酷な書き方になるが、被害者は、信じたくなければ、信じなければよい。国民に興味を持ってほしいのに、信じたくない説は裁判でつぶす、というのでは、国民だって困惑するだろう(というか、私が困惑している)。田原さんの件は、裁判で決着をつけるべきではなく、(抽象的で申し訳ないが)もっと他にやるべきことがあったのではないか、と思わざるを得ない。