最近、『情報を200%活かす 池上彰のニュースの学校』(朝日新書、2013。以下『ニュースの学校』)を読んだ。読むきっかけになったのは、『週刊東洋経済』で連載されている、佐藤優(まさる)「知の技法 出世の作法」で、池上彰の新聞の読み方が参考になるという趣旨の文章を読んだからである(ここでは挙げないが、『ニュースの学校』を引用した記事があった)。
読者の皆様には是非一読してもらうとして、『ニュースの学校』p90に「公民の教科書を読もう」とある。また『中学の公民の教科書を読み返す」(p91)とある。
池上彰の展開とぜんぜん違うが(『ニュースの学校』をご一読)、たしかに勉強になる。
某日、教育出版の『中学社会 公民 ともに生きる』(2011年3月30日検定済み。以下『ともに生きる』)を某図書館から借りた。
読んでみると、内閣不信任決議案が「可決した例はこれまで4回しかなく、いずれの場合も衆議院は解散されました」(『ともに生きる』p88)とある。それで思い出したが、東日本大震災が起こってから3ヶ月に満たない2011年6月2日に、内閣不信任決議案が提出され、否決された(「不信任 否決されたよ マヌケだな」(http://blogs.yahoo.co.jp/kiyotaka_since1974/52032030.html
)参照)。過去4回の経緯からすれば、当時内閣不信任案を提出した、自由民主党、公明党、たちあがれ日本(現在の日本維新の会。Wikipedia「たちあがれ日本」(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%9F%E3%81%A1%E3%81%82%E3%81%8C%E3%82%8C%E6%97%A5%E6%9C%AC
)参照)は、まだ被災地が選挙すらできない段階で衆議院議員総選挙を求めたわけだから、被災地置き去りの最たるものである。このような政党が与党だったり一定の影響力を持っているのは問題だ、という知見が得られ、勉強になった。
読み進めてp96。「過去に行われた主な再審裁判」を見ると、死刑判決が確定した4件が無罪になっている。執行されたら無辜の人が「生命を奪」(p94。死刑の定義は「被告人の生命を奪うこと」)われていたわけで、いくら被害者遺族がお気の毒でも無辜の人の生命が奪われていいわけがないから、死刑廃止論もそれなりに意義があることを認識した。
このように、教科書を読むのは意外と勉強になる。『ニュースの学校』を読んで、教科書の学習をするのも面白いかもしれない。
*文中敬称略