清高の ニュースの感想 令和版

題名川柳・内容超一流!

「政権担当 能力」に定義 あったんだぁ

読売新聞2019年7月26日統合版11面に「論点スペシャル 野党 体勢を立て直すには」というのがあり、興味深い内容を発見した。

 
それは、帝京大学の教授である川人貞史(かわとさだふみ)さんの「政権戦略 10年後見据え」である。
 
といっても、以下の部分であるが。すなわち、「政権担当能力とは、政権党が壊れずに自分たちだけでまとまって問題解決できることだ」というところである。
 
よく「(旧)民主党には政権担当能力がない(なかった)」という非難がなされることがあるが、意味が分からなかったので、言った人が単に嫌いなだけの無意味な情報だと切り捨てていた。
 
しかし、それをちゃんと定義してくれる人が世の中にいたとは。
 
もっとも、政治学全般に通暁しているわけではないので、川人さんの定義が正しいか、また、専門的に通用しているかは保留するが。
 
それはさておき、「政権担当能力とは」以下に、以下のような記述が。すなわち、「政権は、内部で意見が対立しても、野党との対抗の一点で結束できなければいけない。民主党政権が(20。清高補足)12年に自壊したのは、党内の反対を押し切って、野党だった自民、公明と『社会保障と税の一体改革』に合意したからだ」とあるが、これは賛成しかねる。
 
その当時の議席状況を、川人さんは忘れているようだ(民主+国民新党(当時)で、衆議院で3分の2以上の議席がなく、かつ参議院過半数議席がなかったから、民主+国民新党で法律案を通すのは不可能だった)。だから、「政権担当能力」ではなく、読売新聞が得意な「強すぎる参議院」の是非の話である(読売新聞は、民主党自由民主党の同意人事を拒否したことをあげつらうが、それが正しくてもこの件も全く同じ話である)。
 
なお、なお、「(略)野党、体勢を立て直すには」に乗っていた別の識者のコメントに気になるところが。
 
それは、神戸大学教授の砂原庸介さんの、以下のくだり。長いが引用する。
 
(引用開始)
障害やLGBT(略)などの属性が手がかりとして注目される候補も少なくなかった。当選した彼・彼女らが、国会に当事者としての視点を持ち込むことは極めて有意義だ。ただ、マイノリティーの当事者だけがその集団を個別的に代表できるという発想には注意が必要かもしれない。個人の属性と政策への志向を結び付けるだけでなく、政党という集団と、それが生み出す政策への志向を通じて『多様性』を表現すべきだろう。マイノリティーの代表を選択することだけが『多様性』への配慮だとされると、有権者も戸惑うのではないか
(引用終了)
 
砂原さんの言うことが当てはまる状況って、皆無に近いんじゃないの?
 
「マイノリティーの当事者だけがその集団を個別的に代表できるという発想には注意が必要」も、当事者ならではの説得力も否定はできないだろう。例えば、いわゆる杉田水脈論文について、当ブログでは「杉田水脈(みお)でも やらかし『新潮 45』」(https://blogs.yahoo.co.jp/kiyotaka_since1974/56726073.html
)で批判したが、当事者である尾辻かなこさんのTwitter上での批判(https://twitter.com/otsujikanako/status/1020256463032217601
から)の方が説得力があるのは言うまでもないだろう。もっとも、「マイノリティーの当事者だけがその集団を個別的に代表できるという発想には注意が必要」も何も、自由な社会の日本では当事者以外でもあれこれ言うから心配しなくていいんですよ、砂原さん(笑)。
 
「個人の属性と政策への志向を結び付けるだけでなく、政党という集団と、それが生み出す政策への志向を通じて『多様性』を表現すべきだろう。マイノリティーの代表を選択することだけが『多様性』への配慮だとされると、有権者も戸惑うのではないか」も何も、砂原さん、日本の選挙制度政治学者なのに知らなかったみたい(バカ笑い)。これは以前砂原さんの『週刊東洋経済』の連載で勉強した記憶があるが、小選挙区と拘束名簿式比例代表制が政党を選ぶものであり、中選挙区制非拘束名簿式比例代表制が人を選ぶものだとしている。参議院の場合、選挙区は小選挙区が多数なので、また、非拘束名簿式でも政党を書く人が多いので(一例:第25回参議院議員通常選挙において、比例代表で、政党名投票が12,712,515票、候補者に順位をつけたのが4,866,203票だった。NHK参院選2019 開票速報 自由民主党 比例代表」(https://www.nhk.or.jp/senkyo/database/sangiin/2019/00/hmb12_1.html
)参照)砂原さんの見解に普通の人は戸惑うのである。