2019年12月31日19時15分から放送された、「第70回NHK紅白歌合戦」の話。
筆者は人と会話しながら観ていたのでそれほど味わっていない。その中で一番印象的だったのが、ビートたけしさんの「浅草キッド」。たけしさんに葛藤があったという。以下記憶だが、自分は売れたけど仲間が売れなかったことに葛藤があって曲を書いたという。
その歌詞はUta-Netから。
ざっと読んだが、なかなかの歌詞である。たけしさんくらいは真剣に聴くのだったか。
他には、K-POPファンを自認している筆者としてはいつもの(ただし曲はJapanese ver.だから「いつもの」でないが)TWICEを観たくらい。ミナさんの一日も早い復帰を祈っている(ただし、焦らずに)。
というわけで、それほど真剣に観ておらず、また、それほど面白くなかった第70回NHK紅白歌合戦だったが、ネット上で注目されていると筆者が勝手に認定したのは、以下の女性自身の記事にある話。
女性自身の記事をまずは引用してみる。
歌手のMISIA(41)が12月31日、「第70回NHK紅白歌合戦」に出場した。(略)
(略)
紅組司会・綾瀬はるか(34)に「年齢も性別も、国境さえも愛の力と音楽で越えていきたい。そんなMISIAさんの熱い思いが詰まったステージです」「様々な愛の形に素晴らしい未来が訪れることを祈って」と紹介され、歌い始めたMISIA。(略)
(略)「Everything」に突入。LGBTQの象徴であるレインボーフラッグがステージ後方の中央に掲げられ、ドラァグ・クイーンがダンサーやコーラスとして登場した。(略)
「MISIAさんは活動初期からステージにドラァグ・クイーンを起用し、LGBTQのイベントにもたびたび参加してきました。さらに、セクシャルマイノリティのファンも多い。そのため、MISIAさんは『恩返しがしたい』という気持ちでサポートを表明しているそうです。新しい元号となって初めての紅白でこうしたパフォーマンスをしたことは、新たな時代の始まりを感じますし、多くの人々を勇気付けたことでしょう」(音楽関係者)
MISIAのステージには19年5月にアジアで初めて同性婚が認められた台湾から、DJ Noodlesが参加。また紅白出場アーティストたちがレインボーフラッグを手に持ち、そのパフォーマンスを楽しむシーンも映し出されていた。TwitterではMISIAの打ち出したメッセージ性に感動の声が上がってる。
《MISIAが素晴らしすぎて涙が出た。令和になっても男女に分かれて勝負をする(という前提を崩せない)紅白の舞台にレインボーフラッグを広げて、会場中の人びとに振らせて、真にさまざまなひとが歌って、踊って、何よりあの圧巻の歌声!女神かと思った》
《我が国最高の視聴率を誇るテレビ番組のクライマックスでレインボーフラッグが登場した令和元年。後世にこの日はどう評価されるんだろうな。MISIAさん、ありがとう!》
また紅白歌合戦からのメッセージも話題となっている。
18年の紅白で、おげんさんに扮した星野源(38)は「紅白もこれからね、紅組も白組も性別関係なく混合チームで行けばいいと思う」と話して反響を呼んだ。そんな星野の、今回の衣装はピンク! また囲み取材で「もっと自分らしく」と意気込んだ氷川きよし(42)は本番で、紅バージョンと白バージョンにわかれた自身の姿がバックに映し出されるなか「大丈夫! 大丈夫!」と力強く歌っていた。
それぞれのアーティスト、ひいては紅白歌合戦のメッセージに新たな潮目を読み取るこんな声も上がっている。
《紅白歌合戦、赤と白半々の氷川きよしからのレインボーフラッグのMISIAの流れ、はっきりと言わなかったけどわかるようにメッセージを飛ばしてますよね》
《星野源が「これからの紅白は紅組も白組も性別関係なくいけばいいと思う」と言っていて、おお、これはすごいなと思ったが、今日の衣装はピンクだった。MISIAはレインボーフラッグを背にし、嵐は色とりどりのダンサーに囲まれる。いいですね》
《2020年が紅白を決めなくてもいい、白黒つけなくてもいい、どんな色も輝く年になりますように》
と、このように、MISIAさんのパフォーマンスをきっかけとして、男女を紅白に分けないことを素晴らしいことのように書いている。
たしかに、個々人の性的指向は人それぞれであるから、男女や、それに伴う紅白にこだわる必要がないと言えなくはない。
しかし、上記女性自身の記事は、紅白歌合戦の歴史を知らないと馬鹿にされても仕方のない内容でもある。
実は、紅白歌合戦というのは、男女が平等に、対等の立場で勝負するというイベントなのである。
筆者は(忘れていたが)すでに下記のレビューをアマゾンでアップしているので、まずはそちらを。
「「〈安住の地〉」 見つけるための 紅白だ」において、筆者は以下のように書いた。
初期の紅白は、「『男女対等、ハンディなしのゲーム展開』」(p24)のあるスポーツの要素があった
だから、女性自身の書いたような評価はアリとしても、もし男女別をやめた場合にチェックしなければならないのは、男女のアーティストの比である。おそらく男性アーティストの数が多くなると予想するが、本当にそれでいいのかは考えたほうがいいだろう。
ちょっとズレるかもしれないが、アメリカにおいて、グラミー賞に女性アーティストに対する差別があるという話があるので、そちらも。