読売新聞2021年6月1日統合版12版20面に「道徳教育考える『論集』刊行 未来志向の学問目指す 専門家グループ」と題した記事を発見したので、以下において引用しつつ検討する。
もちろん、
という結果を、筆者が否定するものではない。
しかし 、
これまであまりにも長く、価値教育ができなかった弊害は大きいと嘆く。「目指すべき人間像が提示できず、 宗教にも触れずにきてしまった。グローバル化が進み社会が多様になればなるほど、生きる上での機軸が必要になるはず。日本社会が右往左往している原因は、軸を見失ったまま、目指すべき人間像を確立できていないことにあるのではないか」(「『道徳教育学フロンティア研究会』」会長、貝塚茂樹・武蔵野大学教授(道徳教育)。*2
となると、トンデモのにおいが。
「『社会が多様』」だからこそ「『目指すべき人間像が提示でき』」ないわけで。*3特定の価値観(例えば、以前物議をかもした『心のノート』)を押し付けてはいけないという話なのに。従って、公教育では、物語や小説をなるべく多く読んだり、宗教の知識を広く授けることくらいしかできないだろう。有害な(一定の考えの押し付けになりがちで、『心のノート』みたいなことになる)道徳教育の教科化よりマシだろう。
「『日本社会が右往左往している』」*4が何を指すのかもよくわからない。ある時は自由と民主主義を信奉し、ある時は一党独裁を信奉でもしたのだろうか?例えばアメリカとも中国とも付き合うのは、自国民や自国在住民が生き延びるためであり、「『右往左往』」*5は結構なことだろう。実際の日本国がそうだとは思えないが。