つい先日、筆者は、豊下楢彦さんの『昭和天皇・マッカーサー会見』(岩波現代文庫、2008)を読んだ。
筆者は既にアマゾン上でレビューしたが*1、昭和天皇が、大日本帝国下であろうが日本国憲法下であろうが高度な政治的な判断をしたことが、「資料」*2から明らかになっており、昭和天皇のイメージが変わること、請け合いである。
その『昭和天皇・マッカーサー会見』で注目すべき箇所が。以下、引用する。
それでは昭和天皇は、おそらくはいかなる政治家よりも、なぜこれほどまでに安保体制の"揺らぎ"に対して強烈な危機感を抱いていたのであろうか。実は、二〇〇七年になって公刊された、天皇の最後の側近であった元侍従・卜部亮吾が残した日記の短い記述に、問題のありかを理解する手掛かりが隠されているようである。それは、一九七一年四月一二日付の日記である。前日の一一日に統一地方選挙が行われ、東京では美濃部達吉が、大阪では黒田了一が、京都では蜷川虎三がそれぞれ知事に当選し、さらに横浜市長選では飛鳥田一雄が選ばれ、革新勢力の躍進という結果に終った。その翌日の日記で卜部は、「統一地方選挙の結果につきお尋ねあり、調べて奉答す」と記し、この事態について「東京・京都・大阪の三府を革新に奪われしは政府ショックならん」と感想を述べているのであるが、それに続いて「政変があるかと御下文あり」*3と、天皇の反応を書き残しているのである(『昭和天皇最後の側近 卜部亮吾侍従日記』第一巻)。
(中略)
たしかに原も指摘するように*4、議会制民主主義の枠組みがそれとして定着している中で行われている選挙、しかも地方選挙の結果について、いかに革新勢力が躍進したとはいえ、それを「政変」と結びつけて危惧を表明するとは、尋常の感覚ではないと言わざるを得ない。まさに「内乱の恐怖」「革命が起きるかもしれないという恐怖」というものが、若い時代の体験を背景に、昭和天皇の考え方を呪縛し続けていたのであろう*5
昭和天皇は、議会制民主主義における選挙、しかも地方選挙レベルでも、恐怖を抱いていたのである。
もちろん、現在の上皇陛下、ならびに今上陛下がどう思っているかはわからない。しかし、近いうちに行われる衆議院議員の選挙は、自由民主党vs日本共産党を含めた野党共闘の戦いになりそうである。となると、大げさな表現になるが、国体を賭けた戦いということになるかもしれない。1955年体制からほぼ一貫して与党であった自由民主党が勝つのか、日本共産党も協力して野党共闘が勝つのか、今後の日本国の針路を大きく変えるかもしれない。
筆者は、憲法が改正され、その結果、天皇制が廃止になることが仮にあればそれを受け入れるものであり*6、共和国日本を見てみたい気もするが、敗戦時同様天皇制を支持する日本国民はかなり多そうなので*7、日本国が混乱するのが恐ろしい気もする。
かなり先走ったが、今度の衆議院議員の選挙は、日本の今後を占う大事な選挙となりそうな予感がある。ただし、野党共闘が過半数の議席を得たくらいでは、大政翼賛会のような、ほとんど野党がいないという状況も予想され、これも恐ろしい気がする。となると、日本国は、何らかの矛盾を抱えながら進むのだろう。
*1:
https://www.amazon.co.jp/review/R1WMOVCBOG1JU5/ref=cm_cr_srp_d_rdp_perm?ie=UTF8
*2:豊下楢彦『昭和天皇・マッカーサー会見』「はじめに」3ページ
*4:原文では、明治学院大学教授の原武史さんのコメントが引用されている。
*6:もっとも、現在の日本共産党綱領では、天皇制の廃止は明記されていない。〔憲法と民主主義の分野で〕11によると、「天皇条項については、「国政に関する権能を有しない」などの制限規定の厳格な実施を重視し、天皇の政治利用をはじめ、憲法の条項と精神からの逸脱を是正する。/党は、一人の個人が世襲で「国民統合」の象徴となるという現制度は、民主主義および人間の平等の原則と両立するものではなく、国民主権の原則の首尾一貫した展開のためには、民主共和制の政治体制の実現をはかるべきだとの立場に立つ。天皇の制度は憲法上の制度であり、その存廃は、将来、情勢が熟したときに、国民の総意によって解決されるべきものである」とあるので、廃止の明記はない。