清高の ニュースの感想 令和版

題名川柳・内容超一流!

これならば 報道ダメでも やむないか

今日の讀賣新聞の雑誌の広告の中で特に目に付いた。のは、週刊ポスト2007年11月16日号の見出し、「国民から知る権利を奪う、こんな馬鹿な話があるか!―裁判員制度「メディア規制」(6項目)で、「(秋田県で起こった少年2名の殺人事件で起訴された被告人の名前。当ブログでは、必要がないので匿名にした)」「光市」報道もできなくなる!」である。

たしかに、表現の自由を制約する立法は、一般論として警戒しなければならない。

しかし、日頃から裁判報道に親しんでいる身からすれば、既存の裁判報道では制限されてもやむを得ないと思う(法律論は無視して)。

前述の雑誌を立ち読みしたが、内容はひどい。秋田県で起こった少年2名の殺人事件についての例についていえば、被告人が何らかの人格障害をわずらっていることも報道できないと書いているが、そんなこと、知る必要があるのだろうか(行為時に責任能力があるかが問題で、人格障害責任能力の有無は関係ない)。光市母子殺害事件の例では、被告人側の主張を荒唐無稽だと書いているが、それ以前に弁護団の争い方に問題がないことをきちんと説明すべきである。

つまり、裁判報道で一番大事なのは、興味本位の細かい事実ではなくて(これは判決が出てからでよい)、法的な解説なのだ(何を争っているが、問題があるのか否か)。細かい事実ばかり追って、被告人の心証を悪くするような報道は、被告人に対する偏見を助長してしまうので(そういう報道ばかりだと、いざ裁判に携わるときに、被告人=悪い奴という目で見る可能性が高い。しつこくTVで広告を打てば、その商品を購買する気になるのと似ている(これは、心理学的に明らかになっている)と個人的には思う)、慎むべきだ。慎めないのならば、報道規制はやむないと思う(法律論を無視すれば)。