清高の ニュースの感想 令和版

題名川柳・内容超一流!

讀賣の 記者さん人権 感覚ゼロ?

ごく少数の記事だろうが、最近の讀賣新聞の記事は、人権感覚がゼロと思われる記事が多い。以下、何点か指摘してみる。

1.12月9日付「編集手帳」(http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20071208ig15.htm

大まかな内容を言えば、野球の特待生制度を認めるべきというもの。

それはいいのだが、「経済的に恵まれなくても可能性に挑戦できる仕組みを奪わないよう、細心の配慮が必要」ならば、なぜ無償教育の推進まで話を進めないのだろう。日本は、宣言により留保しているが、教育は無償が原則なのが国際人権法の建前なのに(経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約第13条参照)。できる人の権利だけを声高に叫び、普通の人の権利を黙殺するとはどういう神経をしているのだろうか(野球のドラフトの記事にもその傾向がある(自由枠擁護。もっとも、廃止されたが))。

2.12月16日付「編集手帳」(http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20071215ig15.htm

これは、はっきり言って疑問点続出。まず、「犯人が自殺した事件の被害者遺族は頼みの「法」に怒りを、復讐を、ゆだねることもできない」というのは、事実ではない。たしかにハードルは高いが、弁護士に相談すれば、「犯人」(被疑者段階なので、無罪の推定(市民的及び政治的権利に関する国際規約第14条第2項)があるから、この表現もおかしい)、損害賠償請求ができるかもしれないからである。

でも、いちばんひどいのは、「死出の旅を選ぶのならば、黙って、静かに、ひとりで去れ」という文章。新聞記者って、いつから人に「死ね!」と言えるようになったのかね。ついでに言うと、この新聞は、もう自殺防止の記事は載せられないね。

あと、「犯人を憎む」のもダメだ。「罪を憎んで人を憎まず」ではないのかね(被害者の方なら理解するが、赤の他人では問題だ)。こんな感情的な煽りの文章が1面に載るのでは、程度が低いといわれてもやむを得まい。

3.「佐世保乱射(中)」(http://kyushu.yomiuri.co.jp/news/ne_07121707.htm
もひどい。

まず、「投げやりな態度しか印象にない」という医院関係者のコメントを載せているが、人を殺したという疑いがかけられている段階では、得てしてこのように見がちなはずで、このようなコメントを載せるのは、一般論としては偏見を助長するだろう(この事件は、被疑者が死亡し、なおかつ弾の関係からこの被疑者が犯人の可能性が高いが、だからといって載せていいとも思えない)。

また、「被疑者(清高修正)は、自分の不満を『世の中が悪い』と転嫁させた可能性がある」とあるが、自分のせいにするのではなく、正確に見ることが最重要なので、この記述も不適当だ(自分が悪い可能性が高いが(一般論として、人は自分に甘い)、『世の中が悪い』かもしれない(他人の不祥事はその人に帰責しがち。以上については、『クリティカル・シンキング(入門篇)』(ゼックミスタ=ジョンソン 北大路書房)参照)。

それにしても、「死人に口なし」で、ここまで悪し様に書くかねぇ(もっとも、死者の場合は、虚偽でなければよいとも言える。刑法第230条第2項参照)。

4.国際面4頁に『英、ニート救済本格化』とある。英国の取り組みは参考になるが、ニート個人の幸福には触れずに(参考までに、人は「労働の権利」(経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約第6条第1項)があるが、原則として強制労働には服せられない(市民的、政治的権利に関する国際規約第8条第3項(a)参照))、「ニート国益を損なう」という観点からのみ論ずるのでは、ニートについての偏見を助長するおそれがある(国益を損なうということは、大概の人はネガティブに捉えるだろう。働いたり、学校に行っている人と同じ人間をそう捉えていいのか。なお、参考までに付言すると、国は生存権を保障するといっても、働かないで手当て等などを給付しては持たないので、労働意欲を喚起するなど、何らかの行動を起こすことがいけないとはいえない)。