清高の ニュースの感想 令和版

題名川柳・内容超一流!

讀賣は コラムも投書も 全然ダメ(1)

今日の讀賣新聞は、コラムも投書も全然ダメだった。どこがダメだったかを、2回に分けて論じてみたい。

1.最初はコラムから。「よみうり寸評」(東京では2007年12月26日だが、仙台では27日。http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20071226ig05.htm

(1)「教科にはせずに教えているとはいうが、教育現場では他の教科より軽んじられているのが現実」なのは仕方ないのでは?求められる知識量が増える反面、教師の労働条件にも考慮せざるを得ないから。何度でも言うが、国語や歴史教育を工夫するしか思いつかない。

(2)「しつけの乱れ、規範意識の低下、道徳教育の不振などには対応が鈍い。戦後〈修身〉を廃止し、戦前のそれを否定する余り、道徳には〈羮(あつもの)に懲りてなますを吹く〉傾向が強い◆そのうちに自己中心の勝手気ままが手に負えなくなった」→これ、事実なんですかねぇ。現在の若者の規範意識の低下を否定する論考もあるし(『検証 若者の変貌―失われた10年の後に』浅野智彦偏 勁草書房)、戦前の規範意識などたいしたことがないという本もあるし(『戦前の少年犯罪』(管賀江留都 築地書館)、「自己中心の勝手気まま」は、個人主義と宗教の崩壊が原因で(私見だが、いろいろな本を読んで考えたものである)道徳教育を施してもたぶんどうにもならないだろうし(メリットを殺すことにもなりかねない)。くだらないコラムだったな。

2.社説(http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20071226ig91.htm
(1)「検定意見を正面から否定するような記述訂正は認められなかった。とは言え、きわめて疑問の多い“政治的訂正”であることに変わりはない」と、まずのっけから「きわめて疑問の多い」記述だ。もっと問題なのは政府の学問に対する介入ではないのか(憲法第23条、第21条参照)

(2)「今回、9人の専門家から意見聴取した審議会は、集団自決が日本軍の命令で行われたことは「確認できていない」、集団自決の要因には「様々なものがある」などとする見解をまとめている」が、9人の専門家が執筆者の説を変える権利の根拠は何か。

(3)「しかし、日本軍が「自決しなさい」と言って住民に手榴弾を手渡したとの記述も訂正申請で認められた。これについては、その根拠となった住民の証言の信頼性を疑問視する研究者もいる」が、信頼性があるとする研究者も執筆者もいるのだから、それを尊重すべきだろう。

(4)「検定済み教科書に対するこのような訂正申請がなし崩し的に認められていくのであれば、内外の政治的思惑によって、教科書検定制度そのものが揺らいでいくことにもなりかねない」ということより、検定自体が政治的思惑があることを論じろよ。

(5)(9月29日に沖縄県宜野湾市で開かれた検定意見の撤回を求める県民大会の)「「参加者11万人」という主催者発表の数字が伝えられたが、その後、俯瞰(ふかん)写真に写っている参加者を数えた東京の大手警備会社は、1万8000~2万人と指摘している(改行)実数を5倍以上も上回っていた主催者発表の数字に、政府が驚いたことで始まった“訂正劇”だった」→こんなの全然重要ではない。県民の怒りに人数は関係ないという面からも、素人がいくら集まっても学問的に正しいことにはならないという面からも。

(6)「政府は、教科書検定に対する政治介入の愚を二度と繰り返してはならない」→違うだろ。実質的な政治介入の教科書検定を廃止すべきで、ない国もあるのだから実現可能と書けよ。
(続く)