清高の ニュースの感想 令和版

題名川柳・内容超一流!

あすの会の 死刑廃止論 曲解だ

全国犯罪被害者の会(以下、通称の「あすの会」と表記)が、朝日新聞素粒子」問題で抗議したのは皆さんご承知の通り。

ほとんどの読者は、被害者感情を汲んで、あすの会を支持し、朝日新聞を批判するだろう(ネットサーフィンをしているのでわかる)。それはそれでいいが、私見はあまり支持する気になれない(抗議自体はしてもいいが、正当なものか疑問)。

ところで、あすの会が死刑について何か発表しているのかを調べたら、「冤罪事件と死刑執行停止を考える」(http://www.navs.jp/report/1/topics/topics-24.html
というTOPICS(ニューズレター)を発見した。思うところがあったので、素粒子問題と関係ないが、これを検討することとしたい(*当然、素粒子問題におけるあすの会の見解の妥当性とは関係ないことをあらかじめお断りしておきます)。

「この公聴会(「死刑執行停止に関する岡山公聴会-冤罪事件と死刑執行停止を考える(主催 日本弁護士連合会・中国地方弁護士会連合会・岡山弁護士会)」―清高注)の最終目的が、「凶悪犯罪者の社会復帰を、最初から前提にしている死刑廃止運動の一環」と位置づけておられるのなら」→実際の会は知らないから言い過ぎなのだろうが、死刑廃止運動が「凶悪犯罪者の社会復帰を、最初から前提にしている」というのは曲解だろう。いろいろな説があるが、たとえば、冤罪防止を根拠とする死刑廃止論は、社会復帰を前提しているとは言えないだろう。また、無期刑にするのは、終身刑の残虐性を考慮しているし、有期刑の場合はほとんど出られない刑にしている(たとえば、懲役100年など)。

「社会復帰した犯罪者が再犯した場合の責任の所在」→本人や社会復帰後の社会の責任であって(それなりのサポート体制も考えなければならない)、決定をした人や弁護人の責任の方が重いとは思えないが(予見可能か疑問)。

「死刑執行の一時猶予を行い、犯罪の数が減るか増えるかという観点は、国民の安全・生命を実験台にした犯罪行為に匹敵する」→それならば、犯罪者を社会復帰させなければいいので、問題があるとは思わないが。

「犯罪を無くすという問題解決に取り組む事の方が先決ではないでしょうか」→方法があるとは思えないが(生きていれば、犯罪を犯したいという誘惑ぐらいあるのが普通だろう)。

「冤罪の問題は、「誤判が起こらない刑事司法システムを構築する」という中心点にベクトルを向けるべき」→その方法論を提示していただきたい(私は、人間は間違える動物だと思うので、このような刑事司法システムはないと思っている)。

「「誤判の怖さ」を植え付け、死刑執行停止をめざす運動は「やってはいけないこと」だ」→なぜ?

「「死刑廃止は世界の潮流」と喧伝されておりますが、その実態が国民全体の意識の高まりから廃止したのではなく、強引に議員達を誰かが巻き込んで死刑廃止国にしてきた経過としての「潮流」であるのなら「いかさまの実態」を証明している言葉として捉えるべきではないでしょうか。(原文1行空白)私は今、それらの国々を実態調査してみたいとの強い衝動に駆られています。どういう経緯で死刑が廃止されたかという事が知りたい。その国の被害者の置かれた実態や、国民が死刑廃止をどう受け止めているかを知りたい」→これは私も知りたい。期待しています(たとえば、イギリスは、ある事件が死刑執行後に冤罪がわかって、一気に死刑廃止になったと聞くが、本当だろうか)。

以上検討したが、犯罪被害者の方の気持ちを知る上では貴重なものだが、死刑廃止論を正確に知らないという印象を持った(公聴会の問題もあろうが)。

何で犯罪被害者の方を責める記事を書くんだ、と怒る方もあろうが(これ自体は正当な面もある)、意見を述べた場合に批判をしてあげるのも、「尊厳」(国連被害者人権宣言第4条)を持って接することだと考えたので、あえて書いた次第である。