青森地方裁判所で行われた性犯罪を扱う裁判員制度の裁判で、いろいろなコメントが出た。このエントリーでは、それを検討する。
まずは、読売新聞2009年9月3日朝刊30面。
45歳のウィメンズネット青森のメンバーいわく、「被害者の心情を考えると、どこまで出すべきか判断は難しい」(「裁判員に犯行状況を再現した写真を示したことについて、量刑を決める上で必要な情報としながらも」(上記読売新聞))とのこと。否認事件ではないので、あまり出さないという選択肢もあろう。主に検察側の今後の課題だろう。なお、否認事件ならば、なかなか防ぎようがないかもしれない(もっとも、DNA鑑定を使うという手はありそうだが)。
また、こうも言っている。「裁判員は男女同数にしたほうがいいのではないかと感じた」。裁判員というより、裁判官と裁判員で、たとえば25%超(クウォーター制って、こんな意味だよな)、つまり、裁判官と裁判員で最低3人は女性にすべきなのだろうな。もっとも、これは、性犯罪に限ったことではないが。
「性犯罪事件は裁判員に与える負担が大きいので、対象から外すべきだ」(「(「ジェンダー法学を専攻する中京大法科大学院・柳本祐加子准教授」(上記読売新聞)のコメント)。しかし、裁判員に与える負担は、性犯罪だけ突出しているわけじゃないんじゃないか(殺人は負担が軽い?)?また、性犯罪は国民の常識を反映させる必要はないのか?また、裁判官などをチェックする必要もないのか?
ところで、昨日のNHKニュースウォッチ9に、被害者学の権威である常磐大学の諸澤英道先生が出ており、被害者が裁判制度(裁判官だけor裁判員制度)を選べるようにすべきだという趣旨のコメントをしていた。しかし、これは実現不可能に近い。現在でも、裁判を受ける被告人は選べないのですよ。被害者といえども、裁判を受けない人の意思をなぜ優先させるのだろう。原理的な考察が必要である。被害者の利益だけを考えても解決しない。
私は男なので性犯罪の悲惨さをわかっていないという批判は甘受するとしても、悲惨さだけで他のことを考えないこれらの発言は問題だろう。