唐突ですが、高遠菜穂子さん、覚えていますか?
2004年の、いわゆるイラク人質事件で人質になった人。解放された後に、いわゆる自己責任バッシングにさらされた人。
退避勧告に従わなかったなどの事情は承知しているが、犯罪被害者であること、国民の安全を守るのが国家の義務であること、以上2点から、不当なバッシングとせざるを得ない。自己責任バッシングの論陣を張った産経新聞の人は、海外メディアの取材に「ノーコメント」と答えたとか(森達也=森巣博『ご臨終メディア―質問しないマスコミと一人で考えない日本人』(集英社新書 2005)p118)。こんな自己責任が取れない人が所属する新聞の自己責任論は、それだけで噴飯物だろう。
それはさておき、3月3日に、NHKの「クローズアップ現代」が、高遠さんを取り上げていた。不当な自己責任論跋扈に興味を持ったので、拝見した。
高遠さんいわく(以下、厳密な発言ではなく、趣旨)、自己責任とは、死ねということで、生きて帰って来なければよかったと思い、日本の人を避けていたとか。ただでさえ犯罪被害でショックを受けているのに、バッシングされたら、このように思っても不思議はない。2004年当時、自己責任論を採った人は、贖罪の日々を送るべきだろう。
その高遠さん、イラク支援のボランティアは継続しているという(隣国のヨルダンにいたが、昨年、ある部族の紹介でイラクに人質事件以来の入国をしたとか)。イラクのみならず、カンボジアでもボランティアしたことがあるとか。
「クローズアップ現代」では、支援の様子が結構映っていた。番組の構成もあろうが、おおむねイラク人は感謝を寄せていた。不当な自己責任論が跋扈していた時でも、イラク人は励ましのメールを送っていたし。支援の良し悪しは、結局は支援される側が決めるもの。支援される側が満足であれば、いいのではないだろうか?この点からすると、高遠さんの活動は、誇りに思うことはあっても、けなすべきところはないようだ。
あと、ボランティアをすると、する人が「癒される」そうだ。人の役に立つということは、人間心理としていいということなのだろう。