清高の ニュースの感想 令和版

題名川柳・内容超一流!

レアケース ゆえに学校 認めない

読売新聞2010年11月9日朝刊13版35面(仙台では)に、こんな見出しが。

「『いじめで自殺、なぜ言えない』」。

理由は2つ考えられよう。

1つは、認めれば学校が責任を負うから。誰だってネガティブな責任など取りたくはないだろう。先生がいじめる場合もあるので迂闊には言えないが、いじめはいじめる人が悪く、いじめた人(やその親)が責任を負うべきであるということを徹底させたほうがいいのではないか?もちろん、就業場所において安全配慮義務があることと並行して考えると、学校の責任を否定はできないだろうが、その場合でもいじめた奴が一番悪いはずである。

2つは、いじめで自殺するのがレアケースだからである。最近読んだ『教育問題はなぜまちがって語られるのか?―「わかったつもり」からの脱却 (どう考える?ニッポンの教育問題)』(広田照幸伊藤茂樹、日本図書センター、2010)に書いてあるように、統計上、いじめによる自殺はごくまれだそうである。

もちろん、だからいじめを許すわけではないし、学校を免責したいわけでもない。しかし、レアケースならば、認めるのに躊躇するのは仕方ないとも言える。

なお、ついで扱いするのが申し訳ないほどすばらしい投書があったのであわせて紹介すると(読売新聞2010年11月9日朝刊12版12面「仲間はずれを防ぐ学校側の配慮必要」)、「背の順でも、番号順でもいい。学校側はグループ分けで、いじめにつながるような仲間はずれが出ないように配慮してほしい」とのこと。一考に値する。