清高の ニュースの感想 令和版

題名川柳・内容超一流!

刑務所の 株式会社 まずいだろ

毎日.jp「杉良太郎さん:刑務所の株式会社化を提案」(2012年06月25日 19時29分(最終更新 06月25日 19時42分)。http://mainichi.jp/select/news/20120626k0000m040042000c.html )によると、「法務省から、刑務所運営アドバイザーの「特別矯正監」を委嘱された俳優の杉良太郎さんが25日、省内で記者会見し「受刑者の処遇に税金を使わない形を検討すべきだ」と述べ、刑務所の株式会社化を提案した」という。

杉さま、じゃなかった、杉良太郎さんといえば、以前、NHK総合で放送された「爆笑問題のニッポンの教養」(ウィキペディアでは、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%88%86%E7%AC%91%E5%95%8F%E9%A1%8C%E3%81%AE%E3%83%8B%E3%83%83%E3%83%9D%E3%83%B3%E3%81%AE%E6%95%99%E9%A4%8A  )で、刑務所の回(「"塀の中”の真実」でみた記憶がある。犯罪者を更生させる活動に熱心な人である。

それは大変結構なのだが、素人考えでも(おそらく、刑事政策学者も)、刑務所の株式会社化はまずいだろう。

まず、毎日.jpに載った杉さんの発言を検討すると、「『国家予算で被害者より受刑者を手厚く保護するのは不公平』」とのこと。わかるのだが、移動の自由が制約され、強制労働が課せられているのに、「『受刑者を手厚く保護』」とはならない。もちろん、「『受刑者が働いて自分のことは自分でやり、被害者に少しでも償えるシステムが必要だ』」もわかるが、それなら、過激に書けば、刑務所以外の方法を模索すべきとも言える(民法第722条第1項(刑務所に入る事例は、たいてい不法行為)、民法第417条により、金銭賠償が原則なのだから、どこにいようと金銭賠償を実効化させるのが理想)。

次も毎日.jpからの引用。「死刑囚が、懲役囚のような刑務作業に携わることがない現行の制度について「死刑囚でも働いて被害者に償いたい人はいるはず」として、死刑囚が働ける制度への変更も提案」とある。もちろん、「死刑囚が、懲役囚のような刑務作業に携わることがない現行の制度」は疑問である。しかし、刑罰は絞首(首を絞めて殺すこと。刑法第11条参照)なのだから、仕方のないことである。また「働いて被害者に償いたい人」は、そうでない人より反省を深めている可能性が高く、そういう人に死刑を科すことが妥当か疑問がある(死刑の判断基準の一つには、犯行後の情状があり、反省も含むだろう。コトバンク永山基準」(http://kotobank.jp/word/%E6%B0%B8%E5%B1%B1%E5%9F%BA%E6%BA%96 )参照)。以上の理由により、「死刑囚が、懲役囚のような刑務作業に携わることがない現行の制度」の改革は、死刑の廃止しかない(蛇足だが、本日、『死刑廃止論』(有斐閣)の著者、団藤重光・元最高裁判事が亡くなった。ご冥福をお祈りいたします)。

そもそも株式会社というのは、儲かる(配当がもらえる)と思う人が投資することが不可欠だが、誰が投資するのだろう。また、儲け(配当)のためには事業の拡大は不可避であるが、だとすると、受刑者を増やしたほうがいいのか? そのためには、福祉をカットして、たくさんの人が刑務所に行き、移動の自由もない強制労働がいいのだろうか? 刑務所株式会社が成功することにより、刑務所以外の株式会社の民業は圧迫しないのか? 刑務所株式会社にコストで勝てないとすると、刑務所以外の株式会社の従業員の給料・賃金は下がるのか?

原理的に考えても、刑務所の株式会社化は、不当な結果を生じさせる可能性が高い。

申し訳ないが、毎日.jpの杉さま発言はたいてい(価値的に)間違いである。本当は、犯罪は社会の病気でもあるのだから、刑務所に国費を費やすのはやむをえず、それが嫌ならば、刑務所に入らないで賠償させる方法を考えるべきなのである(その具体的な方法が難しいのは承知しているが)。