)によると、「東京高裁で今年6月と10月、裁判員裁判が言い渡した1審の死刑判決を破棄し、無期懲役に減刑する判決が言い渡された。2つの判決を下したのは同じ裁判長で、過去の判例を重視するなどして減刑の判断を下した。「民意を取り入れて変わったはずの司法が、市民も加わった判断をなぜ否定するのか」-。遺族らの失望は深い」とあるが、何も問題ない。
「「市民が加わった裁判員裁判が出した死刑判決の重み」」?裁判員が市民感覚の反映のための制度とは理解するけど、だから過去の人より重くていいとは単純にはならないだろう(軽くていい、よりは難しい。刑罰は市民の権利を制約するもので、なるべくされないほうがいいとされるから(自由主義の建前から導かれる。なお、みなさんが刑罰を受ける側として考えれば簡単にわかる)。更生が大事だったり、民事賠償があったりするので、刑罰を重くしなくても致命的とは言えない。また、無期懲役は実質終身刑とされているので大勢に影響はない(①で取り上げられた2つの事件は現在高裁段階で無期懲役の判決が出ている))。
こう書くと、お前は犯罪被害者遺族になんていうことを言うのだ!という人もあろう。しかし、刑罰を全否定しているわけじゃないので、的はずれである。
少々横道にそれるが、最後に。人間として生きていけば、数人は自分に危害を加え、極端に言えば死んでほしいと思う人がいても不思議はないが、普通の事例はダメで、なぜ死刑になる事例だけそう思って(死んでほしいと思って)いいのかは、よくわからない。