清高の ニュースの感想 令和版

題名川柳・内容超一流!

裁判員 絶対正しい わけじゃない

裁判員制度についてよくある誤解の話。

 

読売新聞2019年12月21日統合版12版16面「気流」に、「裁判員の『市民感覚』尊重を」(著作権が読売新聞にあると判断し、投稿者の名を隠す)と題する投書が載っていた。以下、引用しつつ論じる。

 

市民が刑事裁判に参加する裁判員制度の施行から10年が過ぎた。2人が刺殺された通り魔事件の上告審判決が最高裁であった。1審・大阪地裁の裁判員裁判の死刑判決を破棄し、無期懲役とした2審、大阪高裁判決が確定した。最高裁で、裁判員裁判の死刑判決が無期懲役となる事例が続く。なぜそうなるのか、疑問を抱かざるを得ない。 

 それは控訴理由に該当する一方、上告理由に該当しないからに決まってるじゃん(苦笑)。刑事訴訟法第377条から第382条、ならびに第383条を理由とするときに限って控訴の申し立てができるが(刑事訴訟法第384条)、投書で問題にしている令和元年12月2日最高裁第1小法廷判決(

http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/071/089071_hanrei.pdf

)は、刑事訴訟法第381条の「刑の量定不当」(『ポケット六法』(有斐閣。令和2年版)の表現。判決文では「量刑不当」)を理由として大阪高裁が破棄した判決の上告審である。また、上告の申し立ては、原則として憲法、ならびに判例違反しか理由にならない(刑事訴訟法第405条)。もちろん、第411条各号の事由があれば、「現判決を破棄しなければ著しく正義に反すると認めるときは、判決で現判決を破棄することができる」が、投書で問題としている事件にはそれがなかったということである。

 

最高裁が死刑選択の基準である「永山基準」や過去の判例傾向に基づいて死刑の適用に慎重姿勢をとっているのは明らかだ。だが、裁判員制度市民感覚を司法に生かすために導入されたのではないだろうか。

 

「過去の判例傾向に基づ」くことがあるとすれば、前述刑事訴訟法第381条から当然だろう。あと、投書をした人は、裁判員が、量刑を言い渡すだけだと勘違いしているようだ。事実認定もするんですよ。だから、

裁判員裁判の判決が覆されることが続けば、裁判員が苦悩の末に行った判断が無駄だと考えられてしまう

というのは杞憂の反面、裁判員裁判が間違っていれば(控訴理由や上告理由があれば)上級審は躊躇せず破棄すべきなのは裁判員裁判以前とまったく同じである。

 

裁判員制度の意義を踏まえた判断基準を考えてほしい

も何も、革命も起こっていないのに今までの基準をなくすほうが、恣意的な処罰で問題だろう。

 

なお、アメリカの陪審制も、陪審員の評決が絶対になるわけではない。伊藤正巳/木下毅『アメリカ法入門(第3版)』(日本評論社、2000)p168,169参照。だから、当初のような裁判員裁判を絶対視するかのような見解は間違いである。