清高の ニュースの感想 令和版

題名川柳・内容超一流!

不合理なら 変更されるの 当たり前

今日で裁判員制度が始まってから8年。読売新聞2017年5月19日朝刊13版29面に「裁判員判決 2審の壁」(以下「記事」と表記)と題する記事が目に止まった(もちろん、5月19日に)。

裁判員裁判の死刑判決が、高裁段階で覆るのが5件だという。その内の1件の被害者遺族である南野有紀さんの「「2人しか殺してないとか、計画してないとか、国民の間隔とは全く違う。裁判員制度の意味はどこにあるのか」」というコメントが載っている。

しかし、「「過去に死刑となった」」(記事より)事件と比較して量刑を決めるのは問題ない。また、「「国民の感覚」」(記事より)しか考慮されないわけでもない。

裁判員制度のモデルとなった英米法の陪審制だが、アメリカにおいても「評決無視の判決」(*)や、「再審理」(*)という制度があり、陪審の結論が絶対的なわけではない。不合理ならば国民の感覚通りにしないのは当然のことである。

過去の類似事例と比べて重すぎる刑罰がが合理的なわけがないから、上級審裁判員裁判の量刑が覆ってもそれが故に不当だとはいえないのだ。

もっとも、国民世論の力で少年を死刑にした日本国(光市事件のこと)、新聞が世論に訴えることで裁判員裁判の量刑がくつがえることがなくなるかもしれないが。

*『アメリカ法入門(第3版)』(伊藤正己/木下毅、日本評論社、2000年)p169参照。