清高の ニュースの感想 令和版

題名川柳・内容超一流!

千葉三浦 よりも尾辻が まともだな

「三浦瑠麗 自民非難に 耐えられず?」(https://blogs.yahoo.co.jp/kiyotaka_since1974/56846141.html

)で取り上げた『Voice』(PHP研究所)の2019年1月号は未確認も、ウェブ上にはそれに載ったと思われる千葉雅也(以下も本文は敬称略)と三浦瑠麗の対談が載っていたので、それらを検討する。
 
検討の素材は以下の3論文(すべてWEB Voiceから)。
 
①「千葉雅也&三浦瑠麗 『新潮45杉田水脈論文に隠された本当の意味」(2018年12月10日公開。https://shuchi.php.co.jp/voice/detail/5829
 
②「千葉雅也&三浦瑠麗 「愛」と「性愛」は切り離せるか?『新潮45LGBT騒動を振り返る」(2018年12月17日公開。https://shuchi.php.co.jp/voice/detail/5830
 
③「千葉雅也&三浦瑠麗 政治以前の「欲望」をいかにすくうか」(2018年12月25日公開。https://shuchi.php.co.jp/voice/detail/5832
 
まず①。「なぜ(略)過熱してしまったのか」って?杉田水脈さんが反論せず、自由民主党が何らの処分もしなかったからだろ(苦笑)。
 
それでは①の本文。たしかに「レイプ」は「深刻」だからか(というより、「準強姦被害」か否かは刑事事件だから慎重に取り扱ったとも言える)、LGBT問題より取り上げられないかもしれない。ただ、それは、千葉の言う「『軽い事柄』」だからとは限らないだろう(レイプを手軽にする人はほとんどいないのに対し、LGBTとの接触がより身近である可能性が高いとも言える)。
 
三浦の「杉田氏の発言を批判する人のなかに」など、正直何を言っているのかわからない。わざわざ取り上げる必要もあるんだろうか?それとも杉田発言(論文)批判を貶めるための藁人形なんだろうか?そう思われないためにも何らかの引用は必須だと思うが。
 
千葉の「人間の活動を経済合理性の有無で評価する二分法に対し、では障害者や老人、寝たきりの患者はどうなのか、と反論するリベラル側の意見があります。/しかし、これは誤読だと思う。杉田論文が問題にしているのは、子供ができるか否かという「生殖(reproduction)」の話です」って、誤読している人の相手、ごくろー。
 
そんなことより、尾辻かなこ衆議院議員立憲民主党)のツイートでも取り上げて批判したら? https://twitter.com/otsujikanako/status/1020256463032217601
から連投されている。
 
あ、できないか。尾辻が正確に読んでいるの、「④(略)人間の価値は子供を作るという「生産性」にあるという主張になります」(https://twitter.com/otsujikanako/status/1020257416674402304
)と書いていることからわかるものね。
 
三浦「LGBTという言葉で一概に括れない」って、知ったかぶっちゃったよ。どのような名称にするかの争いがあるのは『13歳から知っておきたいLGBT+』(アシュリー・マーデル、ダイヤモンド社、2017)を読めば簡単にわかるし、そもそもは歴史というか、事実の話(三浦の価値判断の話ではない。コトバンクLGBT」を読めばわかる。https://kotobank.jp/word/LGBT-192043#E3.83.87.E3.82.B8.E3.82.BF.E3.83.AB.E5.A4.A7.E8.BE.9E.E6.B3.89
)。
 
続けて三浦の「LGBTの運動のなかにも、傍流として存在する勢力はあり、彼らには彼らなりの存在意義があるはずです」も、三浦が「主流」と思っている「リベラル」の見解が正論すぎて悔しかったんだろうな。そりゃ傍流にも存在価値はあるが、主流ばかり喧伝されるのは仕方のないことだろう(解散したあすの会(犯罪被害者団体)と見解が違う犯罪被害者・団体の見解があすの会ほど取り上げられないのと同じ)
 
なおあらかじめ指摘しておくが、千葉の「いわゆるリベラルの人たちが」とあるが、②の「昨今の言論は単純化された左派・右派という分け方になりがちだけれども」と完全に矛盾する。つまり、「単純化」しているのは、千葉らの対談である。
 
一方、それをきちんと踏まえているのが、尾辻かなこのツイート。「LGBTを巡って保守とリベラルという対立構造で話が展開しているが(略)」(https://twitter.com/otsujikanako/status/1049877446026305538
)。千葉や三浦と全然違って、レベルが高いなぁ。
 
ここからは②。三浦がリベラルだと思っている人の言論が力があるのが悔しかったからか、ここでも「性的嗜好」の話に論点をずらしている(小川榮太郎の「論考」の話だが、そもそもそれがズレている)。なお、性的指向性的嗜好の違いは、Weblio辞書で確認。
 
 
 
千葉は自らの体験だからか、「LGBTの性愛における重要な特徴は、広い意味でのフェティシズム(特定の種類のものに執着すること)が先に立つことだと僕は考えています」とのこと。性的な多数者がなぜ千葉のいうことに該当しないのかがよくわからない。
 
千葉の独自説がまだ続くが、「「指向」には、変更不可能なものだという含意がある」と勝手に認定してもなぁ。学者を名乗るのなら『13歳から知っておきたいLGBT+』くらい読んでからにしたほうがよかったな(要は、千葉の言う「含意」は、ない)。
 
三浦は「好き嫌いはあろうが、少なくとも小川氏が論点としてピン留めしようとした性愛の問題は無視できない」と、論点ずらしの正当化に躍起になって笑える。
 
ただ、②の3ページはおおむねまともな内容だが、千葉の「一般的な差別発言と捉えるのではなく」は願望で、尾辻の連投ツイートの読み方に軍配を上げる(差別ととらえられても仕方がない)。
 
最後に③を検討する
 
社会科学的な事実は再現不可能だからって、千葉の「同性婚の推進などはことさらにデモなんかしなくても勝手に進んでいく、と思います」と言われてもなぁ。
 
それにしても千葉の暴走はまだまだ続いていたよ。「もちろん犯行(銃乱射のこと。筆者補足)に至るまでには、何らかの排除や抑圧の構造があったわけですからね。左右の問題として議論する以前に、社会のなかで起きている抑圧の構造を見て、そのなかでどう主体化していくか、ということを考える必要があります」って、散々「左右の問題として議論」したのは、千葉らでしょう。
 
なお、その次の「今回のLGBT問題にも通底しますが、そうした犯行も1つの「欲望の問題」であり、また逆に、リベラル知識人がそうした事件を一般化・単純化して、自分たちのアジェンダに結び付けるのも1つの「欲望の問題」である」は、千葉の混乱なんだろうな。「犯行」ではなく、「犯行をきっかけとした銃規制」だろう。「犯行」なら複雑なわけだろ?
 
千葉や三浦が「リベラル」と思っている人の言動が嫌いなのはわかった。しかし、それが前面に出てしまって、認知が歪んだようだ。それが表れた対談だったので嘲笑してしまった。