2020年3月15日から、NHK総合テレビで「レ・ミゼラブル」をやっていた。
https://www.nhk.or.jp/info/pr/toptalk/assets/pdf/soukyoku/2020/01/009.pdf を参照。
それに触発されて、筆者は、ヴィクトル・ユゴー『レ・ミゼラブル』(豊島与志雄・訳、岩波文庫、1987年改版)を読み直している(大作だが、1日1章くらいのペースでゆっくり読めばいつの間にか終わる)。
岩波文庫『レ・ミゼラブル』第1巻p330に、以下のような記述を見つけた。
このファンティーヌの物語はそもそも何を意味するか?それは社会が一人の女奴隷を買い入れたということである
(中略)
奴隷制度は欧州文明から消滅したと人は言う。しかしそれは誤りである。なおやはりそれは存在している。ただもはや婦人の上にのみしか残っていないというだけである。そしてその名を売淫(筆者補足。意味はコトバンクにて確認。
)という。
この記述を読んで、旧日本軍慰安婦が性奴隷か否かという議論を思い出してしまった。
性奴隷を否定したい人の中に「慰安婦は売春婦だ!」という人がいる(筆者がみたところ)。しかし、それでは、性奴隷であることを否定できないだろう。
もちろん、『レ・ミゼラブル』とは時代背景が違うし、人の動機もそれぞれであるから、「奴隷ではない!」というのが不可能なわけではない。しかし、全員が「奴隷ではない!」というのは難しいのではないか。
というわけで、旧日本軍慰安婦は、厳密な定義にかかわらず、性奴隷とするのが自然だと思う。従って、慰安婦について性奴隷であることを否定することに意味はないので慎んだほうがいい。