「政権ヨイショ ゆえに書いたよ 『反論』『批判』」
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に続いて、読売新聞の社説が、またやらかしてくれました。その社説は、2023年3月1日社説「政府と学術会議 双方が具体的な考え方を示せ」
である。以下、引用しつつ検討する。
現在、会員(定員210人)は、現職会員らの推薦に基づいて学術会議側が候補者を選び、首相が任命する仕組みだ。
政府が示した改正案の概要によると、首相が任命する前に、新設する第三者の「選考諮問委員会」(仮称)が候補選びに関与する。学術会議は、諮問委の意見を尊重する義務を負うことになる。
(中略)
一方、学術会議側は、第三者が人選に関わることについて「独立性を損なう」と反対している。
ただ、学術会議は2021年、会員選考の際に「幅広く第三者からも意見を徴する」という自己改革案をまとめていた。
政府案も諮問委員の任命を学術会議の会長に委ねており、双方の案に大差はない。にもかかわらず、学術会議が政府案を「介入だ」と批判するのは理解に苦しむ。
を普通の人は理解に苦しむはずである。簡単なことで、仮に2021年の自己改革案が事実としても、「学術会議は、諮問委の意見を尊重する義務を負うことになる」*1からである。つまり、社説を読む限りでも、日本学術会議の見解が正しいのがわかる。
政府は毎年度、学術会議に約10億円の国費を投じている。公費を受け取りながら、会員の選考方法には「口を出すな」と言っても、国民の納得は得られない。
ということについて、賢人は誰も納得しないであろう。「透明性 よりも大事な 自由かな」
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に書いた、「『政府(略)による大学の人事への干渉』」に極めて似ているからである。この話は、学問の自由(憲法第20条)に関わる話で、日本学術会議が政府等の干渉から独立して決めることが大事なのであるから、読売新聞ごときが勝手に「国民」を代弁してはならず、謙虚に憲法の「学問の自由」を学ぶべきであろう。
科学技術の進歩は国の発展に欠かせない。政治と学術団体が足並みを 揃えて*2いくことが大切だ。
科学技術を民生と軍事の両面に活用する重要性は高まっている。学術会議は「軍事研究は行わない」といった旧態依然とした考え方を改め、研究者が防衛政策に関与することを妨げるべきではない。
もおかしい。国が学問に対してお金を出すことを否定はしないが、「政治と学術団体が足並みを揃えていく」ことは程度問題である。コトバンク「ルイセンコ論争」*3にあるような、「ソ連政府・共産党のイデオロギー政策・農業政策に沿った諸学説を提唱し」ということになれば問題であろう。また、読売新聞社説には「学術会議は『軍事研究は行わない』といった旧態依然とした考え方を改め」とあるが、学者が、例えば原子爆弾を開発したというのはれっきとした事実なので、ここでも日本学術会議の考え方の方が妥当である*4。
つまり、読売新聞は、日本語も知らないし、学問の自由も知らないし、学問が政治と結びつく欠点も知らないし、学者が自ら枠をはめないと大量殺人兵器まで至ってしまった過去も知らない、一言でいえば馬鹿な奴が社説を書いているということである。