『ハゲタカ』という小説でおなじみの真山仁が、いまだにトンデモ説を振りまいているという話。なお、筆者の真山仁に対する見解は、下記のリンクから。
kiyotaka-since1974.hatenablog.com
真山は、岩波ジュニア新書から『"正しい"を疑え!』という本を出しているが、それがきっかけか、「岩波ジュニア新書ガイドブック2023」*1pp.4-6に「著者メッセージ」である「『正しい』なんて気にするな!」という文を寄稿している。以下においてそれを検討する。
「正しい」って面倒くさくないですか。*2
時と場合による。筆者の場合、事実がどちらかを決めるときは全然面倒くさくないが、趣味においては面倒くさく思うこともある。
(同調圧力や日々の変化への言及の後で)
悩むくらいなら、「正しい」を追いかけるなんて止めてしまおうじゃないか。*3
これも時と場合によるだろう。TPOをわきまえないといけない状況では危険な考えだし、前述の事実の問題などもそうである。
多様性の時代なんだから、「正しい」は、人の数だけあっていい。
自分が素直に納得できることを、個々人が「正しい」と思えばそれでいいのでは?*4
これも違うなぁ。じゃ、悪いことを「素直に納得でき」たらいいのだろうか? 例えば、(俺は貧しいから少し暗いものを盗んでいいのだ)となるわけないけどね(もちろん、後述の引用の通りであるが)。
もちろん、社会の一員として暮らす以上、社会的常識やルールを守る必要はある。だから、わがまま勝手な「正しい」は、NG。*5
これも違うなぁ。この通りなら、ルールは不変じゃないか。わがままを言うことによって社会がよく変わることだってあるだろうに。『みんなの「わがまま」入門』という本も実在するのに*6。
実際に「『正しい』なんて気にするな!」を読めばわかるが、真山は、同調圧力に負けずに自分の考えを持て、と言いたいようだ。しかし、文章が下手くそだからか、問題ある内容になってしまっている。筆者は、「正しい」を押し付けざるを得ない場合はあるし、「社会的常識やルール」*7が問題の場合もあるし、「わがまま勝手な『正しい』」*8が正しい場合もあると思っている。「『正しい』と思ったら主張していいが、それに対する非難もあるしその非難も自由である。しかしそれに負けるな」くらいがいいのではないだろうか。