清高の ニュースの感想 令和版

題名川柳・内容超一流!

「歴史教科書 不毛な論議」が 不毛かな

読売新聞2008年10月19日朝刊7頁(仙台では)に、「歴史教科書 不毛な論議」(浅野好春・読売新聞ソウル支局長執筆)と題した、韓国の歴史教科書の事情についての記事が載っている。

それによると、ある教科書が「左翼偏向」と「保守の与党ハンナラ党」に批判され、別な教科書が「右寄り」と「左派系野党・民主党」に批判されている。

記事を読み進めると、「与野党どちらの主張も的外れだ」として双方を批判し、「そもそも、激動の韓国近現代史をすべて「不偏不党」の立場で描けるはずもない。むしろ、許容できる記述の「幅」をある程度広くすることが、左右の理念対立解消に役立つに違いない」と展開し、「一元的な歴史認識を追及する傾向が強い韓国。幅広い歴史観を受け入れれば」と韓国を嘆く結論になっている。

韓国を嘆く結論はいいが、浅野支局長には、資格はないだろう。浅野さんの記事に嘆かわしいところが散見するからである。

まず、「ある教科書が「左翼偏向」と「保守の与党ハンナラ党」に批判され、別な教科書が「右寄り」と「左派系野党・民主党」に批判されている」のくだり。左翼の反対は右翼、保守の反対は革新ではないのか?このような厳密な用語を用いていないところに、浅野支局長の「偏向」が窺える(もっとも、記録でこのような言葉が用いられたのかもしれないが)。

順番が違うが、「一元的な歴史認識を追及する傾向が強い韓国」もまずい。学問的追及は「一元的」にならざるを得ないからである。何が正しいかを決める過程で、多元的な学説の対立があるのだ。もっとも、相対主義もあるが(ある説を絶対視しないという限りでは正しいと思うが)、それだと、最終的な結論が出せず、不都合だろう(『クリティカル・シンキング 不思議現象篇』(シックジュニア=ヴォーン 北大路書房)参照)。

最後に、「そもそも、激動の韓国近現代史をすべて「不偏不党」の立場で描けるはずもない。むしろ、許容できる記述の「幅」をある程度広くすることが、左右の理念対立解消に役立つに違いない」との記述もダメ。というのは、 嶌険Δ陵?安侘解消」の根拠が明らかでない(別にする必要はなく、どちらが正しいかを議論すればよろしい)、韓国と日本に共通な、教科書検定に対する批判がない(検定があるので、左右ともに政治権力が「一元化」しようと試みると思われる、それこそが問題。教科書検定がなければ、必然的に「許容できる記述の「幅」」が広がるだろう)、以上2点からである。